2020年1月13日月曜日

典座教訓



 ニュートラルでありたい。


 この前《ポジティブ・プロパガンダ》という話を書いたけ

れど、私自身はポジティブでもネガティブでもなく、ニュー

トラルな状態で生きていたい。


 そう思うようになったのは三十歳ぐらいからだったろう

か。

 当時仕事をしているうちに、仕事にやりがいが持てなくな

ってきていたのです。

 仕事というものは、物かサービスを作り出し、それを消費

してもらうことですが、現代ではその生産と消費のほとんど

が、人間にとっての本質的な価値を持たないということを感

じ始めてしまったのでした。

 一度そういう風に感じてしまうと、どのように仕事の価値

を捉えなおそうとしても無理だった。私の中で、働いている

ことの虚しさが急速に広がり、日々の仕事が苦しいものにな

っていった。ちょうどそこへ、さらに虚しさに拍車をかける

変化が仕事上で起こり、私は仕事を辞めた・・・。


 働くこと、生きること・・・。人はそこに目的を設定し

て、それを心のよりどころにし、モチベーションを高めて

日々を価値あるものにしょうとする。しかし、私にはそれが

できなくなった。どのような目的を持とうとしても、その意

義を担保する価値を見いだせない。むしろ、無意味としか思

えない生産と消費を繰り返すことに罪悪感しか感じられな

い・・・。

 「これは一度ストップするしかない」。そんな感じで、社

会から一旦降りたのでした。


 それから三年余り、降りたまま生きていたのだけれど、貯

えが底をつき、社会に戻らざるを得なくなった。


 社会に戻ったとはいえ、目的意識など持てるはずもなく、

仕事上の具体的な小さな目的を果たしてゆくということでバ

ランスを保っていたのだけど、この頃には「正法眼蔵・典座

教訓(しょうぼうげんぞう・てんぞきょうくん)」にも触れ

ていたので、それが支えになっていた。「いたるところ道な

り」という教えを心にとめながら・・・。


 仏教は、もともと個人の精神的な安定が目的なので、社会

的な目的意識などは無い。

 いつでも、どんな時でも、「いま、ここが正念場である」

として、いまここを大事にして生きて行く。現在を何かの目

的のための手段にしないこと。どこかへ行こうとはしない。

常にここがゴールである。「典座教訓」はそれを教える。


 社会的な目的意識の無意味さにつまずいていた私にとっ

て、「典座教訓」との出会いは必然だったともいえる。「典

座教訓」によって、どうにかこうにか社会の片隅で生きてこ

られたんじゃないかと思う(「『典座教訓』で悟った」とか

いう話ではないよ)。


 「ここが正念場」「ここがゴール」ということは、自ら動

こうとはしないとうこと。

 自ら目的を持たないということ。


 自分からは前に進まず、後ろにも行かず、その場でアイド

リング状態で居る。

 エンジンは動いている(生きているということです)け

ど、ギアはニュートラル。

 周りの状況次第で少し前に進んだり、少しバックしたりは

するけど、自分から何処かへ行こうとはしない。する必要も

理由も無い。そんな状態で生きていたいと思い、今でもそう

思う。


 今にして思えば、仏教の「中道」という考えと同じなのか

もしれないけれど、とにかく、自分から何かの為に動こうと

はしない。「動く」のは、「動かされてしまう」時。たとえ

ば、今こうしてブログを書いているのも、「トイレに行きた

い」という衝動と変わりはしない。明確な目的が有るわけじ

ゃなくて、何かに動かされているだけ。ただ、その動かされ

た先で、誠意を尽くす  自分なりにですが。


 動かされるままに動くためには、自分の目的意識は邪魔に

なる。だからニュートラルでいたい。

 なぜそう思うかというと、人は出来損ないなので、その出

来損ないの意識が目的を設定すると、たいていの場合問題を

作り出すように思うからです。それに、生きることの本質か

らすれば、どのような社会的な目的も表面上の価値しか持た

ないことは明白だから・・・。もっとも「ニュートラルでい

たい」というのも目的になるので、結局は同じことかもしれ

ないですがね。


 誰もわけが分かって生きているわけじゃないし、誰も自由

意思を持っていない。

 選択したつもりでも、誘導されているだけだし、どのよう

な価値も自分の都合です。

 人として、「本当に生きよう」とか、「幸せでいよう」と

か思うなら、いまこの時に誠実に向き合い、今この時を大切

に生きるしかない。だから私はニュートラルでいたい。


 とはいえ、それはそれで骨の折れることではあるんだけど

ね。でも、そこには本当の価値が有る。


 私の目的は、この命を直接感じること。アイドリングの振

動を楽しむようにね。






 

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