2020年1月15日水曜日

本当の自分は沈黙している



 『アタマのおしゃべり』(2019/8)というのを書いた

時、最後に《 本当の自分は沈黙している 》書いた。

 「本当の自分は沈黙している」のであれば、毎日毎日しゃ

べり続けているわたしたちのアタマは、「ニセモノ」という

ことになりますね。


 私も「ニセモノ」、あなたも「ニセモノ」、彼も彼女も

「ニセモノ」、誰も彼もが「ニセモノ」ということです。

で、その「ニセモノ」が集まって作っているのですから、こ

の世の中は「まがい物」ということでしょう。


 「ニセモノ」と「まがい物」は同じことですが、どちらに

せよ「価値を偽っているもの」だということです。「価値」

が無いか、低いのに「価値が高い」と思わせているわけで

す。その「まがい物」の世界の中で、わたしたちは日々右往

左往しているんですが、この世界が「まがい物」だからこ

そ、右往左往しなければならないのでしょう。


 このブログのサブタイトルは “生きられてる?” というも

のですが、始めた当初は、“「しあわせはどこにあるか」の

右往左往” というものでした。しばらくしてから、「ちょっ

とモタついてるな」と思って変えたんですがね。


 わたしたちのアタマは悪い。

 アタマが悪いから、しあわせを見失う。

 しあわせを見失うから探さなければならない。

 しあわせを探して右往左往する。


 それがわたしたちの活動です。でも、アタマが作った世界

には「まがい物のしあわせ」しかありません。結果、わたし

たちの右往左往は終わることが無い。

 「しあわせはどこにあるか」と探し回っても見つからない

のは、世の中が「まがい物」であること以前に、そこにはそ

もそもしあわせが存在していないからです。しあわせは外に

は無い。


 私からすれば、しあわせは、“これ” です。


 私からあなたを見れば、“それ” です。

 いま、スマホかパソコンをいじっている “あなたそのも

の” 。

 「あなたの中にある」とかいうのじゃない。

 そこにそうしている “あなたそのもの” のことを、しあわ

せと言うのです。


 こんなことを言われると、「えっ・・・」と一瞬言葉を失

うかもしれませんが、その「言葉を失ったあなた」のことを

“しあわせ"というのです。そしてそれは「本当の自分」のこ

とでもあります。《本当の自分は沈黙している》のですから

ね。


 普段から眼鏡をかけている人が、いま眼鏡をかけているに

も関わらず「眼鏡をどこにおいたかな?」と探すことがあり

ます。

 あっちこっち探し回りながら、「はた」と気付きます。

「おれ、今眼鏡かけてるんだ」。

 それで一件落着ですが、「しあわせはどこにあるか」の右

往左往は、なかなか落着しません。むしろ、ほとんどの人が

右往左往したまま人生を終えます。「まがい物」を追い続け

て・・・。


 沈黙したら、そこには本当の自分が立ち現れる。そして、

本当の自分には、本当の世界が見える。




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