2020年7月10日金曜日

アハハハハ!



 口から出まかせを書き連ねて、もう三年半になる。この

頃、自分が少し傲慢になってきたような気がしている。

 たんに歳のせいかもしれないけれど、こういうブログを書

いて自分の考えがまとまってきて、何やら変な自己肯定を持

ってしまったのかもしれない。「自分は悟っている」みたい

な・・・。


 私は「自分は悟っている」などとは思っていない。そもそ

も「悟り」というものがどういうものなのか、そのハッキリ

とした基準のようなものが存在しないので、自分が「悟って

いる」かどうかが分からない。ただ、「自分は普通の人が分

かっていないレベルのことを分かっている」といった感覚を

持ってしまっているのは確かだろう。それって、傲慢ですよ

ね。ヤな奴だ。


 私は「ヤな奴」にはなりたくない。別に人に嫌われたくな

いと言うのではなくて、自分が「ヤな奴」なのは嫌じゃない

ですか。私は「愛せる自分」でありたい。だから、何かを分

かった気になって、何者かになったように思っている自分な

んて容認できない。

 私は「なんでもない」「何者でもない」自分というものに

なりたかった(発見したかった)んですからね。


 しかし、困ったことに、「なんでもない」「何者でもな

い」ことを望むというのは、そこに何かの価値を見いだして

いるということですから、それは「何か」であり、「何者

か」であるということです。

 というわけで、「なんでもない人」になろうとしてるの

に、「何様」かになってしまっているという失態を演じるの

が、こういう人間によくあるパターンなわけです。私もその

パターンにはまりかけている・・。もしくは、すでにはまっ

ている。ヤだねぇ。


 「どうしたものか」と思うけれど、「どうにもならない」

というのが本当なんだろう。「なんでもない」ことを望むこ

とが「なにかである」ことなんだから、これはもうどうしよ

うもない。

 「なんでもない」と「なにかである」ことの間でふらふら

と揺れ続けるという、はなはだ落ち着かない状況に腰を据え

るというのが、唯一の道なんだろうと思う。

 「落ちつかない状況に腰を据える」だなんてムチャクチャ

な話だけれど、そうするしかないので、そうするしかな

い・・・。アハハハハ・・・。


 「そうするしかないので、そうするしかない・・・・・・

・・・・・」となったら、本当にどうしようもないことにな

ってしまうけれど、「そうするしかないので、そうするしか

ない・・・。アハハハハ・・・」と笑いがでるところが、

“一日の長” といったところであって、自分の「生」を生か

すも殺すも、この「アハハハハ」に掛かっている。


 わたしたちには「自由意思」というものは無い。

 すべては「状況による誘導」だから、「そうするしかない

ので、そうするしかない」のが、わたしたちの「生」です。

 であれば、笑ってしまうのが賢明だ。《機嫌の悪い奴はバ

カである》し、《しあわせとは機嫌の良いことである》のだ

から、なにがどうあろうと「アハハハハ」と笑えば、それで

済みだ。(「状況による誘導」によって笑えない人には申し

訳ない)


 なんでもあろうと無かろうと、それを笑ってしまえば、そ

の「何か」の次元を越えてしまう。それが本当の意味での

「なんでもない」ということなんだろう。


 ということで、私はこれから、心おきなく傲慢であってい

いのかもしれない。

 アハハハハ!

 (ヤな奴だな)





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