2020年7月26日日曜日

「命」とは何か?



 「安楽死」「尊厳死」「自殺」「感染症弱者」・・・。

 「人命がすべてに優先する・・・」。

 「命」とは何か?


 身体的・生物的に「生きている」状態ならそれでいいの

か?

 それが「命」の全貌だろうか?
 

   「意識がある」、「自分の意志がある」、それが「命」の

真の価値だろうか?


 いま、日本の社会では二つの「命」の基準がある。

 ・ 心臓が動いていること(動かされていることも含

  む)。

 ・ 脳が働いていること。

 どちらかが満たされていなければ、その人は「死んでい

る」と判断される。しかし、その基準を受け入れられない人

も多い。この基準はあくまで、現代の日本社会が採用してい

る暫定的なものにとどまる。すべての人が納得する「命」の

定義が存在しないからだ。肉親を亡くした人が、もう完全に

この世に存在しないその人を、「まだ生きている」「受け入

れられない」と言ったりするのだから。

 「命」とは何か?


 今回ニュースになった安楽死を依頼した ALS 患者の女

性は、視線入力の装置で意志の疎通を行っている状態だった

そうだが、病状が進むと眼球も動かせなくなり、視線入力も

使えなくなる。そうなってくると最後に動かせるのは肛門の

筋肉だそうで、介護者に肛門に手を当ててもらい、肛門に力

を入れるかどうかで「イエス」「ノー」の意思表示をして、

自分の意思を伝えることになるそうだ。そして、やがて肛門

も動かせなくなると、自分の意思をまったく伝えられなくな

り、「閉じ込め症候群」と呼ばれる状態になってしまう。


 どこかが痛くても、苦しくても、何かをしてもらいたくて

も、誰にも伝えることもできない。喜びも、悲しみも、怒り

も、感謝も、誰とも分かち合うことができない。

 私の感覚では、人にとってこれほど残酷な運命はない。

 「死なせてくれ」

 そう思って無理はない。

 そんな恐ろしい状態に誰が耐えられるだろうか? 耐えら

なくても、自ら死ぬこともできないのだ。それは想像を絶

する。

 その想像を絶する残酷な状態を生みだすのは、ALS と

いう病気ではなくて、現代の医療なのだ。「命を守る為」

に・・・。

 「命」とは何なのか?


 現代の医療は、ほとんど「身体的 “命” 」の所で思考停止

している。そこから先は「医療の範疇ではない」と、社会と

個人に丸投げしている。

 そのままでは死んだであろう人を生かして、その結果、そ

の人がどんな苛酷な状況にさらされたとしても、「それはそ

の人が対処すべき問題であり、社会がフォローすべきこと

だ」として関わらない。私はそれを無責任だと思う。(矛盾

や葛藤を抱えながら、その苦悩を受け止めつつ、今はそれを

するという医療者もいるだろうし、それゆえに医療から離れ

る人もいるだろう・・・)

 何も「患者の人生に責任を持て」と言うのではない。「人

の命を左右するのだ。“命” とは何なのか、命がけで考えて

るのか?」と思う。それが、責任だと思う。


 「命」とは何か?


 無責任なのは医療者だけに限らない。ほとんどの人間が無

責任だと思う。

 「命とは何か?」という問いに対して、揺るぎない答えを

持っている人はごく限られるだろう。ところが、誰もが、確

固たる答えを持たないまま「命」について口にする。それが

自分自身の「命」についてならそれはそれでいいだろう。し

かし、他者の「命」に対して口を開くなら、そこには責任が

生じる。覚悟が要る。その社会の、その時の公式見解を掲げ

て、それで済ませられるようなことではなかろう。


 「命」とは何か?


 身体的に存続することだけではないだろう。

 精神的に存続することだけでもないだろう。

 その二つを合わせたものでもないだろう。

 そして、“個” が持っているものでもないだろう。

 「命」とは、《 “個” を生みだし、それを生かさしめてい

る〈働き〉》のことだろう。


 この半年余り、コロナの騒動を不快に感じ続け、自殺や尊

厳死や安楽死などに対するありきたりの言葉をいくつも聞か

され、いつも憮然とした思いになっていた。


 そこには、「命」に対する畏怖が感じられない。

 “個” の「命」という狭いところにだけ目を向け、それを

「自分たちでコントロールするのだ」という、浅薄さや驕り

ばかりが幅を利かせる・・・。


 人は誰でも死ぬ。その厳然たる事実をどう考えているの

か?

 人のからだは、歳をとって死んでゆくようにプログラムさ

れている。その自然の摂理をただ忌み嫌い、恐れ、悲しむこ

とは、「命」に対する冒涜ではないのか?


 生まれること、生きること、死んでゆくこと。

 それを受け入れ、厳粛に見守ることが、「命」を守ること

ではないだろうか?



 

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