2020年7月21日火曜日

「頑張れ」って言うな!



 テレビを点けたら、三浦春馬くんの自殺についてやってい

た。

 親交のあった人との過去の会話の内容が画面に出ていて、

彼の言葉と、彼に掛けられた言葉がいくつか載せられていた

のだが、その一つの画面の、わずかな言葉の中に、「頑張

る」という言葉が四つか五つあった・・・。

 「あ~あ・・・・。」と、思わずため息が出る。


 本人も「頑張る」と言い。周りの人も「頑張れ」と言う。


 本当に、もういい加減にしないか?

 「頑張る(れ)」という言葉、「頑張る(れ)」という姿

勢が、これまでどれほどの人を追い詰めて来たかを想像する

と、空恐ろしくなる。それと同時に腹が立ってくる。


 日本語に「頑張る(れ)」という言葉が無かったら、日本

人の自殺者の数は三分の一ぐらいになるんじゃないだろう

か。


 自殺者だけではなく、過労死も鬱病もパニック障害もひき

こもりも不登校もニートもパワハラなんかも、かなり減るこ

とだろう。多くの家庭の、家族間のもめごとも減ることだろ

う。


 本当に、もういい加減にしよう。

 少なくとも人に対して「頑張れ」と言うな。

 「頑張る(れ)」という言葉は、副作用の強い薬のような

もので、慎重に使わなければ、人を害し、命さえ奪う。

 「頑張る(れ)」という言葉の持つ “毒” の面に対する意

識を、日本人全員に持たせるようなキャンペーンでもするべ

きだ。NHKあたりがやればいいのではないか? キャンペー

ンはお得意だろう。 新型コロナなんかよりこっちの方がはる

かに大きな問題だ。


 私は「頑張るな!」とまでは言わない。

 人は、ごく自然に頑張ったりするものだ。

 しんどい仕事をしている途中でちょっと一休みしてから、

「よし。頑張ろう!」と元気よく再開したりすることに何も

問題は無い。自分の行いが、誰かの、人としての本質的な

びや安らぎに繋がるような場面での「頑張り」なら、それは

自身の喜びにもなるだろう。けれど、心をすり減らし、から

だに泥のように疲れがたまっているような日々を過ごしなが

ら、「頑張らないと・・・」と、自分の感覚ではなく、自分

の置かれている状況の方に自分を合わせようとしている時な

どは、「頑張る(れ)」のダークサイドに囚われていると見

ていいだろう。

「頑張る(れ)」という思考に惑わされて、「命」が  

とからだが   “二束三文” で売り飛ばされようとしている

のだと。


 “頑張れない人間” は「ダメ人間」。それが、今の日本の

風潮だろう。そういう考え・人の見方がわたしたちのアタマ

に徹底的に刷り込まれている。けれど、それが人間のあるべ

き姿というわけでは、決してない。それは、一つの価値観に

過ぎない。それが、人としての正しい在り方でもない。それ

は、社会の無言の要請によって人が自ら生み出したもので、

個人というものを、社会を存続させるパーツにする為の一種

のコントロール・ツールだ。


 それは、人に自己否定感を持たせる。そして、自己肯定感

を取り戻そうとして人が絞り出すエネルギーを、社会を動か

すために吸い取る。そうして、人は命のエネルギーを奪われ

てゆくのだ。


 もう、いい加減にしよう。いま、そう思っているだろ

う? 三浦春馬よ。


 このブログを、彼への供養としたいと思う。


 「君はちょっとミスっちゃったね。けれど、君は間違って

はいないよ。社会のパーツとして生き続けるのは、人として

あるべき姿ではない。君は少なくとも、それだけは拒否した

んだ。君はよくやったよ。少なくとも、ここに一人、君の真

摯さを思う人間がいるんだから。何でもない人間だけどね」


 しかし・・・、腹立つなぁ・・・。




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