2021年6月13日日曜日

グラスゴーに誘われて



 先日、Camera Obscura というイギリスのバンドを知っ

て、ついさっきも聴いていたのだけれども、聴いている最

中、昔『0011 / ナポレオン・ソロ』にイリヤ・クリヤキン

役で出ていたデビッド・マッカラムのことを急に思い出し、

「今、何歳なんだろう? どうしているのだろう?」と思って 

Wikipedia で調べてみた。

 現在87歳で御存命ということなのだが、驚いたのが、デ

ビッド・マッカラムと Camera Obscura というバンド

は、同じグラスゴー出身だったということ。どうやら 

Camera Obscura の曲の雰囲気と、デビッド・マッカラム

のイメージが私の中で繋がったらしい。

 マッカラムがイギリス人だということも知らなかったのだ

が、私の感性が両者の醸し出すものに同じ匂いを嗅ぎ取った

ようだ。けど、なんでそんなことができるのか自分でも分か

らない。不思議だなぁ。


 こういうことは時々起こる。何の予備知識もないのに、あ

ることとあることの繋がりを無意識に感じ取ってしまうの

だ。

 前に《 すべての生命は風土に殉じる 》と書いたことがある

(『時代に殉ずる』2017/5)。Camera Obscura もデビッ

ド・マッカラムも、グラスゴーという土地で育まれた同じ何

かをその本質に持っていて、それが自然と外に出てくるのだ

ろう。しかし、それを感じ取ってしまう私の感性もなかなか

のものではないか。さすが HSP だ!


 以前テレビで、 “四葉のクローバーをすぐに見つける女の

子” が出ていた。

 幼稚園ぐらいの子だったけど、次々に四葉のクローバーを

見つけてしまう。自分でも、もちろん他の人にはさらに意識

できない “四葉のクローバーが有る条件” を感覚的に知ってい

るようだった。


 わたしたちは、言語化できず、意識もできない感覚と、そ

の処理機能をいくつも備えていると考える方が素直だろう(  

霊視なんかは一応措いといて・・・)。そういったものも使

って、世界と対応しながら生きているのに、現代は “アタマ

絶対” でそういうものを無視してしまうから、さまざまな問

題が起こり、人は生き辛さを感じたりする。


 アタマ(思考)は出来損ないだけど、アタマ自身はそれを

認めたくない(まぁ、そりゃそうだろうけど)。それが、人

をゴタゴタに巻き込んでゆき、世界も個人も落ち着くことが

無い。アタマでやりくりしてきたこの世界は、ずっと問題だ

らけなんだから、いいかげんに自分たちのアタマを疑ったら

どうか? 


 「死」に対する度の過ぎた恐れと、むやみやたらな「自己

肯定の欲望」の不毛さ、を認識すれば、人は安らげる。仮に

界のすべての人がそうすれば、世界には本当の平和が訪れ

る・・・。


 まぁ、そんな奇跡は起こらないので、個人レベルで平和に

なっているしかないね。


 「わたし、出来損ないだも~ん!💛」


 そう言って、気分のイイ音楽を聴いたり、昔の娯楽映画を

観たりしてたらそれでいいのだろう。世界のことは世界にま

かせてね。




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