2021年6月21日月曜日

ズルいじゃないか!



  先週から市内のあちこちの掲示板にこのポスターが見られ

るようになった。





 「またやってる・・・」と思う。

 オオキンケイギクについては、このブログで二回も話題に

しているのでもういいのだが、私は植物が好きなので、こう

いう行為を見せられると、つい「ムッ」としてしまう。繁殖

力の強い外来植物は他にいくらでもあるのだが、何かといえ

ばオオキンケイギクがやり玉に上げられる。人間は自分の事

を棚に上げてこういう事をする。「フェアじゃない」と思

う。「ズルい」と思う。気に入らない。


 別に私はことさらオオキンケイギクに肩入れしているわけ

でもない。キレイだから好きな花ではあるけど、オオキンケ

イギクが日本から消えてなくなっても、それはそれで構わな

い。ただ、この花を目の敵にする人間のズルさと無知が気に

入らなくて、つい引っ掛かりを感じてしまう。

 何がズルくて無知なのかは、以前に書いたものを読んでも

らいたい。(『オオキンケイギクに代わって言わせてもら

う』2019/5、『花の声・虫の声』2021/5 )


 この世界のほとんどの事は、少し深掘りすると、すぐにさ

まざまな事柄と関係する複雑さが見えてきて、「良い」とか

「悪い」などという単純な二者択一などできないことに気付

く。「う~む・・・」と唸って、お手上げ状態の中で「さし

あたり、これが一番マシだろう・・・」という選択をするし

かないことになる。そうならないとしたら、それは、その判

断をする人間がズルいか、無知なのだ。

 上っ面だけの、ごまかしの解決をして、それが「正しい」

かのように振舞う人間を見ると張り倒してやりたくなる(イ

カン。地の凶暴さが出てしまった・・・)。


 社会というものは、根本的に出来損ないなのだから、社会

に表れてくる問題を根本的に解決することはできない。でき

ないのだから、一応の、その場しのぎの解決策を採るしかな

い。それはしようがない。けれど、「これは一応のことで、

根本的な解決ではありません」というエクスキューズが有る

べきだろう。社会と、それを作り動かしている自分たち人間

の出来損ないさ加減を、常に肝に銘じるべきだろう。それを

しないから、人間は歴史上に数々の惨事を刻んできたのだ。


 自身のズルさ、無知さ、無能さを認めたくないのがわたし

たちのアタマで、そのことがわたしたち自身を苦しめるし、

世界に醜悪なものをもたらしもする。

 なので私は言い続けることになる。「アタマが悪い」と。

何の力も無いのに、言わずにいられなくて・・・。






 



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