2021年6月6日日曜日

個人の感想



  この頃は、YouTubu で保守派の動画なんかをよく見るの

だけど、特段、自分が保守派だとも思わない。自分のこれま

でを振り返ると、どちらかといえばリベラル的な考え方だっ

たのではないかと思う。そういう教育を受けて来たしね。

 それが何故、この頃「保守」なのかというと、「リベラ

ル」のいうことがあまりにも観念的かつその時のノリだけに

見えて呆れてしまうから、その反作用で、「保守」の話が面

白いということのようだ。


 基本的に “「リベラル」は目くじら立てていて、「保守」

はそれをおちょくっている“ というのが最近の構図なので、

そのあたりの “遊び心” の有る無しでも、私は「保守」の方が

好みです  というか、そこが大事。

 “目くじら立てている人間” というのは、《「正しい」と

は、そういうことにしておけば気が済むということ》なんて

ことは、カケラも思っていない。「万人が受け入れるべき

〈正しいこと〉が有る」と本気で思っている。こういう人間

はほんとうに始末が悪い。ギチギチ・ガチガチで遊びが無い

から。


 「遊び」というのは、「保留分」ということで、「保留」

というのは「確定しない」ということですけど、いったい、

人のアタマでこの世界の事を考えて「確定」できることがあ

るか? そんなものありません。


 赤いリンゴを見て、「赤い」と言う。

 けれど、私の見ている「赤」と、他の人が見ている「赤」

は違う。
 

 私の目は、左目は少し青みがかって見え、右目は少し赤み

がかって見える。一人の人間の左右の目でさえ違う。また、

人が色を感じる光受容体の種類は赤・緑・黄の三種類だけ

ど、私の左右の目に違いがあるように、その構成比には個人

差があるはずだ。その上に女性の三割程度は、赤の受容体を

二種類持っていて、他の人より色の感受性が細かいのだとい

う。


 そのように、ひとりひとりが見ている色は違う。違うけれ

ど、同じ「赤」ということにして話は進む。それでさしあた

り支障はないので、同じ「赤」ということにしている。


 話がリンゴの色程度の事であればそれでいい。けれど、こ

の世界や人の世の事のように複雑な話になって来た場合、生

理的な情報処理でさえ人それぞれなところへもってきて、そ

れぞれの都合によってさまざまなバイアスの掛った観念でも

のを見る。そんな判断を「確定」しているかのように思われ

たらかなわない。

 サプリメントなんかの CM では、さんざん効能があるかの

ように印象付けておいて、「あくまで個人の感想です」とい

う卑怯な逃げ口上が使われるけど、わたしたちが自分の考え

を述べるときには、「あくまでも個人の感想です」と自覚し

ておくのが、正直で謙虚な態度だろう。


 遊びのない考えで他人を圧して来る人間ほど迷惑なものは

ない。迷惑どころか害になることも少なくはない。「正義の

人」は必ず残忍だ。「正義の人」は恐ろしい。


 「正義」は人のアタマの中に生まれるが、それがアタマの

外へ出て来たら、世界にとっては異物でしかない。もともと

世界に存在しているものではないのだから。


 アタマの産物である「正義」は、人と人とのアタマの違い

を調整して、人と人とを良い関係にする働きを期待されるも

のであるべきだろうけど、実際には人と人との間に決定的な

壁を作る。そんなこと、歴史が徹底的に証明していると思う

が、いまだに「正義」の需要は多い・・・。困ったもんだ。


 保守でもリベラルでも、どんな宗教や教説でもいいけど、

それらはすべて「一応」のものだと分かっている人と話がし

たいものだ。

 「どちらにせよ、わたしたち出来損ないだから💛」

 そう言って笑って見せてくれる人と。


 

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