2021年6月1日火曜日

自意識の効用~アタマに出来る良い事~



 コロナ騒動をながめている内に、この頃思うようになった

こと。

 いつから「死」は “悪” になったのだろう。


 「死」が避けるべきことであるのは、人類がまだ言葉を持

つ以前から、生物の本能として感じていただろう。

 「死」が恐れるべきこと、忌むべきことであるのは、人類

が言葉(思考)を持った時からだろう。「死」への恐れが言

葉を生み、言葉が「死」への恐れを生み、同時に「自分」と

いうものを生んだのだろう。


 そして人はずっと「死」から逃れようとして来ただろう。

「死」は “恐いこと” であり続けて来ただろう。けれど、

「死」は “悪” ではなかっただろうと思う。なぜなら、絶対に

避けようが無いことを “悪” としてしまえば、「生」は絶望へ

の道程となってしまい、闇に覆われてしまうだろうから、そ

うしない為に、意識の片隅では「死」を受け入れていたはず

だ。

 ところが、いまはどうだ? 「死」自体が “悪” のように語

られる。多くの人がそのように考えているように見受けられ

るが、それは狂気だろう。


 人のなかに自意識が生まれ、言葉が生まれ、思考が生ま

れ、それ以来「死」は恐れ忌み嫌われてきた。「死」はエゴ

の終焉だから。

 けれども、人はもうそろそろ「死」を捉え直すべき時に来

ているのではないのだろうか?

 「命」の姿の一面として、「生」の流れの続きとして。

 ここまで極端に、「死」が  “悪” と見做されるまでになっ

てきたのは、大きな転換の前兆かもしれない。


 「死」が日常となり、「死」が恐れるべきことではなくな

ったとしたら、人はどうなるだろうか?

 恐れの根源である「死」を恐れなくなった時、あらゆる 

“恐れ” がその力を失うだろう。すべての “恐れ” が姿を消す

だろう。そして、人は皆、本当に安らぐだろう。強欲さも、

その存在意義をなくして消え失せることだろう。


 どの人も必ず死ぬ。

 どの人のエゴも終わりを迎え、消えてしまう。

 どうせ終わりを迎えるのならば、生きている今、エゴを終

わらせてしまえばどうだろう?

 「死」の恐れは、エゴの終焉への恐れなのだから、エゴを

終わらせてしまえば、「死」の恐れも消える。そして、すべ

ての “恐れ” が消え、人は安らぐ。


 人類は、エゴを生かすためにエネルギーを注ぎ続けて来た

けれど、その営為は限界に達しようとしている。だから、も

ういいかげんに悟っていいだろう。「エゴを生かし続けるこ

とはできないのだ」と・・・。


 アタマを切り替える時が来ているのではないか?


 限りなく悪さを繰り返してきたアタマが、たった一つ出来

る本当に良い事。


 自身の終わりを受け入れること。


 それは、人を本当の意味でしあわせにする。そして、アタ

マもそこに立ち会うことができるのだから、やってみる価値

はある。そうアタマに教えてやる時が来ているように思うの

だが・・・。





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