2022年7月18日月曜日

「おまえはおかしい!」



 ネットのニュースの見出しやさまざまなコメント、発信を

見ると、毎日々々、誰かを批判したり蔑んだりしている。日

本だけに限っても、一日にどれぐらいこういう言葉が使われ

ているのだろうか?

 「自分は正しい。あいつはおかしい」

 人間の言っていることは結局それだけ。

 それ以外の言葉は、話の前提になる情報の提示なので、人

間の言うことはそればっかりだというのは(ほぼ)過言では

ないだろう。


 「自分は正しい」と「あいつはおかしい」は大抵セットに

なって使われるけれど、「あいつはおかしい」と言いたがる

のは、「あいつがおかしいのだから、それと反対の考えの自

分は正しい」という自己肯定感を得たいが為なので、つまる

ところ、人間の言いたいことは「自分は正しい。自分は正し

い・・・」それだけ。それが普通で普遍的。多分、人類が滅

びるまでそのままなのだろう。それにしても、なんでそんな

に自分の「正しさ」が欲しいのかねぇ。正しかったら何か良

いことでもあるのだろうか?
 

 良いことなんか有りはしない。

 自分が正しかったとして、それは「自分は正しい」という

だけのことだ。

 「うん、分かった。あなたは正しい。それで?」なんて言

われたりしたらどうするのだろう?

 「なんだ、その言い方は! “それで?” なんてことを言うの

は余計だ!おかしい!」などと怒り出しそうな気がする。ま

たまた「おまえはおかしい」モードに突入するのだろうな。


 結局のところ、「自分は正しい。あいつはおかしい」と言

いたいのは、世の中(他人)が「おかしい」からそう言いた

くなるのではなくて、世の中(他人)を「おかしい」ことに

することで、「自分は正しい」と思いたいからなんだろう。

だから四六時中「おかしい」と言えるネタを探していて、自

分に扱いやすいネタがあるとすぐに飛びついてスマホの入力

画面を開く。「おまえはおかしいぃぃぃぃ!」・・・。救い

がないね。


 自分が正しくなくてもいいじゃないか。正しくないことを

言った聞いたりしたら心臓が止まるというわけでもなし。心

臓は「正しさ」なんて知らないけど、その心臓は、わたした

ちのあたま(脳)ができる前から動いている。自分が「正し

い」かどうかにこだわることが正しいのかどうか、「自分の

心臓に尋ねてみたら」などと思う。


 「おまえはおかしい!」ボカッ!

 「おまえはおかしい!」グサッ!

 「おまえはおかしい!」ズドン!

 「おまえはおかしい!」ポチッ(送信)!


 世界中で、朝から晩まで、路上で、家庭で、ネット上で、

夢の中まで、飽きることなく、無限に繰り返される、「自分

は正しい。あいつはおかしい」。

 「“正しい” ことは、おかしい」とでも言いたくなるほど

だ。


  《 「正しい」とは、

    そういうことにしておけば気が済むということ 》


 スマホやPCを開いたら最初にこの言葉が出るようにしてお

いたらいいのにな、と思ったりする、今日この頃。


 私は「人間(世の中)はおかしい」と思っているが、この

考察は正しいだろうか?

 一応、私の気は済む。
 

 

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