2022年7月24日日曜日

それで気が済むのなら・・・



 以前にも書いたような気がする話だけど、今から二十年ぐ

らい前のシャンプーのCMで、外国人のヘアスタイリストの女

性(有名な人なのだろう)が登場して、そのシャンプーを使

えば「スタイリングが思い通りにキマる髪になる」というこ

とをアピールしていた。その最後のセリフが「なんでも思い

通りにしたいのよ。女性は」というものだった。

 そのセリフが、女性一般の最大の特徴を言い表していると

思ってとても気に入った。

 JT の山崎努の「ひとまずはお幸せに」や、キンチョールの

大滝秀治の「おまえの話はつまらん!」と並んで、私の好き

なCMのセリフの一つになっている。


 「思い通りにしたい」。それを女性自身が言っているとい

うことが貴重なCMだったが、今そんなことを言おうものな

ら、性差や社会的な役割分担の違いなど認めない “女性” か

ら、バッシングの嵐になることだろう。けれど、その言って

いることは、現在でも一般論としては変わっていないだろう

と思っている。


 「何でも思い通りにしたいのよ。女性は」というのは本当

だと思う。じゃぁ男は「何でも思い通りにしたい」と思って

いないのかと言えば、もちろんそんなことはない。女も男も

「何でも思い通りにしたい」と思っている。ただ、その欲求

が出て来るシチュエーションが、女と男では異なるようだ。

それは「ここでそんなことを言っても仕方がない」と考える

シチュエーションに違いがあるということで、ある程度万国

共通のように思う。なぜなら、外国の昔話やことわざ、ジョ

ークの中に、その男女の違いを感じさせるようなものが結構

あるから。「結構、普遍的な男女差なんだなぁ」と思わせら

れる。


 とはいえ、さっき言ったように、女も男も「思い通りにし

たい」と思っていることに違いはない。社会的な自己認識の

違いで、それを表に出すかどうかの自己規制が係るところが

違うだけの話で、「何でも思い通りにしたいのよ。人間は」

という方がさらに適切だろう。


 わたしたちは「思い通りにしたい」。つまり「気の済むよ

うにしたい」。わたしたちの言うこと成すことはそれに尽き

る。その為に、涙ぐましい努力や、呆れるようなバカなこと

や、口にするのも憚られるようなことまでも、飽くことなく

続けている。ほとんど例外はないだろう。

 で、それで「気が済んだ」のならまだいいのだろうが、果

たしてみんなの「気が済んだ」のだろうか? どう見てもそう

は思えないね。「気が済んだ」としてもほんのひと時のこと

だろうというのは、素直に世の中を見ていればごく自然に感

じられること。そして、それはそうならざるを得ない。「気

が済む」の “気” というのは「気分」のことだから。


 「気分」というのは、あらためて言うまでもなく「(自分

の中の)雰囲気」のことだから、実体も確固たる根拠もな

い。たまたまその時に自分の意識が乗っかっている “流れ” 

の、それもある一部に則しているかどうかということに過ぎ

ない。だからこそ、次から次へと「気が済まない」ことが出

て来てしまい、わたしたちは周りを変えようとする。「そう

じゃないから!」と。


 けれど、みんな自分の在り方を誰かから変えさせられるの

は、当然「気が済まない」。なので当然揉める。「なんでお

前の気が済むように、こっちの気が済まないようにしなけれ

ばならないんだ!」と思うのはごく自然である。にもかかわ

らず、わたしたちは周りを変えようとする。ケンカが絶えな

いわけです。戦争までやる。


 “気が済まないから、自分を変えよう” という発想を、普通

はしない。

 で、「気が済まない」原因の何かと闘って、首尾よく自分

の「気が済む」ようにできたとしても、先ほども書いたよう

に、次の「気が済まない」はすぐに現れる。それどころか、

闘った相手からの反撃があったり、「いつか同じことが起き

るのではないか?」という不安を持ち続けることになるのも

よくあるケースだろう。ぜんぜん「気が済んで」ないじゃ

ん。


 そういう展開になることは、少し考えれば分かることだろ

うけど、なかなかそういう発想にはなれない。こんなことを

私が言えるようになったのも、結構歳をとってからの話だ

し、今でもつい周りを変えようとしてしまう。コスパが悪い

と知っているのにね。残念ながら、持ったが病で治らない。


 そうやって、自分の「気が済むように」わたしたちは動き

続ける。それを業(ごう)という。

 ほんの小さなことから、人生の大問題、果ては地球の大問

題まで、わたしたちは自分の「気が済むように」しようとし

続ける。業なんだから仕方がない。それこそ「気が済む」ま

でやればいい。それで「気が済む」のなら・・・。

 でも、それで本当に誰か気が済んでいるのかな?


 私は意地悪く、「フフン!」と笑ってしまうが・・・。


 《 足りないものは、「満足」だけ 》






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