2022年8月8日月曜日

「物語」を終わらせて



 人は物語を求め続ける。

 これまでより良い物語。今よりも良い物語。満足できなか

った過去を埋め合わせ、さらなる満足を提供してくれる物

語。

 映画やドラマだけの話ではなく、実際の暮らしと人生のよ

り良い物語を求める。人はそういう生き物ですが、その性質

に合わせるべく登場するのが、政治家と商売人です。


 政治家は、次の映画の構想を語って資金を集めようとする

映画監督のようなものだし、商売人は、映画の予告編を見せ

て、できるだけ観客を取り込もうとするプロモーターみたい

なものですね。どちらにせよ、物語の断片を見せて、観衆が

「良さそうだ」と思うように仕向ける。

 映画と違い、実際の物語の出来がどうであろうが大して問

題ではない。公開後は、すぐ次の予告編が流されるので、観

衆はそれを見る。


 映画やドラマの場合なら、実際に本編を観終えることがで

きるけれど、政治や商売の場合、本編が気に入らなくて、多

くの観衆が文句を言いそうになる前に、次の予告が入って来

るので、観衆は、ずるずると次の予告を観て、希望のかけら

を求めてしまう・・・。本編が完結した試しが無い。もう

「サル痘」の話が出ているように・・・(こちらは不安を煽

って観衆を動かすタイプだけど)。

 陰謀論のようなことではなくて、政治や商売が、そもそも

そういう仕組みになっているということ。


 映画やドラマはフィクションだし、お楽しみだから別にい

いけれど、実社会を予告編のノリだけでつなげて、イイよう

にしようとする政治家や商売人に対しては、ブーイングが必

要ではないだろうか?

 「おい。一まず、完結させてから次に行けよ」と。

 そうしないと、評価がいい加減なまま先へ進んでしまうよ

ね。


 とはいうものの、そのような政治家や商売人のズルさが野

放しになっているのは、観衆の方に見る目が無いせいでもあ

るので、世の中は両者の共同作業で成り立っているのだろ

う。

 世の中がどのようであるかは、その世の中を構成する全員

の、総和ないし平均値、あるいは最大公約数の具体化した姿

だろうからね。


 世の中のことであれ、個人の人間関係や目的であれ、そこ

で進められる物語には終わりが書かれていない。だって、物

語が終わるとしたら「死」か「滅亡」に決まっているからね

(ハッピーエンドは、「ハッピーな場面で終える」ってこと

だからね)。なので、人々は予告編なりパイロット版だけを

見続け、その中途半端な物語の継ぎはぎを「世界」だと思っ

てる。何やってんの?


 映画やドラマや小説で物語が完結するのは、作者がそこで

終わらせるからであって、実際の世界では、何も完結するこ

とは無い。すべては継ぎ目なく繋がっている〈完璧な未完の

何か〉です。そこにアタマが物語を持ち込むから、何もかも

が中途半端で悩ましいものになってしまう。


 それが悩ましいものであるとしても、人間には物語が必要

です。けれど、大袈裟でバカバカしい物語はもうたくさん。

 世の中は、インストルメンタルのBGMが流れるぐらいで十

分。

 小賢しい詞や映像は、もうOFFにした方が良さそうだと思

う。


 「物語」は、もう終わらせよう。


 そんなこと、私だけが考えている物語なんだろうけれ

ど・・・。





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