2022年8月14日日曜日

自分をデザイン



 昨日、この夏初めてツクツクボウシの声を聞き、「お盆だ

な」と思った。

 一昨年とは違い、新しいものに取り換えたので、今年のお

盆は誰もいないのにインターホンが鳴ったりはしていない。

(一昨年の怪現象は、アリのいたずらだった・・・、たぶん

ね・・・。『お盆です』2020/8 参照


 今回はインターホンではなく、ただ音が鳴るだけのチャイ

ムを付けた。そもそも内の奥さんも私もインターホンで会話

をしない。「ピンポン」と鳴れば、直接玄関に出てゆく。小

さな家なのでその方が早い。ということで、今回はインター

ホンをやめてしまった。

 あらためて考えれば、インターホンなどというものは、玄

関まで行くのに時間がかかるような広い家や、治安が悪い地

域に必要なものであって、そもそも我が家には必要なかった

のだ。
 

 実は、今回インターホンをやめてみると、なにやら少しホ

ッとした。

 どうやら、インターホンがあるのに受話器を取って話をし

ないことに対して、心のどこかで「自分は正しい手順を無視

してる」という、小さな罪悪感のようなものを持っていたら

しい。HSP は難儀なものだ。そんなことまでストレスの元に

してしまう。アタマが悪い。


 習慣になっていたり、当たり前だと思ってやっていること

が、実はストレスの元になっているということは、当人が気

付かないだけで結構あるのだろう。

 「自分には、これが当然」と思って生きているけれど、そ

れはアタマがそう自己暗示をかけているだけで、身体のほう

は悲鳴を上げているのに、それは無い事にして生きている。

そういう人は気付かぬうちに病んでゆき、気付いた時には抜

き差しならない状態になっていたりするだろう。


 情報があふれかえり、「推奨される生き方の “手本” 」のよ

うなものを目の前に並べられ、それを選んで、それを「自

分」として生きたりしていると、場合によっては自分の性質

との間に大きな齟齬を生んでしまう。そして、病む。

 身体の病気になる。心の病気になる。外に向かえば、誰か

を傷付ける。犯罪者になる。

 自分自身に敬意を払わないことのツケは大きい。


 わたしたちは、自分のことをよく知らない。知ることはと

ても難しい。自分なのにつかみどころが無い。そこへ加え

て、さまざまな生き方を情報として見せられるので、目が外

へ向く。つかみどころのない曖昧な自分を、外から囲ってか

くしてしまい。それで安心する。それが現代なのではない

か?


 このごろ、筋トレで身体を作る芸能人がやたらと目に付

く。ジム通いをする人も多い。それと、タトゥーを入れる者

も増えている。そういった、外から自分を形作ろうとする行

為は、自分というものの曖昧さが不安だから、形を与えたい

のではないだろうか?
 

 自分の望む形に自分をデザインする。

 そうする前に、身体の声、心の深い所の声にも、耳を傾け

ているのだろうか?いないだろうな。



 ツクツクボウシは、今も昔も「ツクツクボウシ」と鳴い

て、ツクツクボウシであり続けている。

 「ヒグラシのようになりたい・・」

 そんなツクツクボウシはいないだろうと思う







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