2022年8月20日土曜日

自分と闘うな



 医師の近藤誠氏が亡くなった。

 三十年以上前、『患者よ、ガンと闘うな』を書店で見た時

は、驚いたと同時に「我が意を得たり」と思ったし、こうい

うことを言ってくれる医師が現われたことが嬉しかった。


 当時、職場で親しくしていた方がガンで亡くなったのをき

っかけに、ガンについていろいろ考えていた頃だった。

 自分はもちろん医師ではないし、専門的な医学知識も無

い。医学の常識には当てはまらない道筋で、ガンについて考

えて(妄想して)いたのです。それは、小児ガンや若い人の

ガンは、先天的な遺伝子の問題も有るだろうから別として、

30歳以降にガンになる人は「自分にウソをついている人だ

ろう」という考察でした。


 意味が分からないでしょ?(笑)

 ヨタ話と捉えてもらって結構ですよ。私にもエビデンスな

んかありませんからね。「そう思う」というだけです。で

も、ちょっと解説してみようと思います。


 ガンというものは、自分の細胞の一部が、他の細胞との連

携を取らなくなって、勝手に増殖し始める病気ですよね。遺

伝子の一部が変異してそうなるわけですけども、その変異を

もたらすのが「自分にウソをつきながら生き続ける」という

行為だろうと考えたわけです。(もちろん、放射線被曝や発

ガン性の強い物質を取り込んでしまうという、物理的な発ガ

ンもあります)


 「自分にウソをつく」とどうなるでしょう?

 本来の自分と、表向きの自分と、二つの自分に分裂します

よね?

 人には誰にでも二つの自分があって、この二つの自分のう

ち、表向きの自分というのは、「社会に意識が向いている」

自分ですが、ガンになるような人の場合、本来の自分に「ウ

ソをつく」ほどに極度に社会化しているのだろうと思うので

す。その結果、本来の自分が訴える、希望や SOS を無視し

てしまう。けれど、無視しつつも無意識化で不安(不満)を

持ち続ける為に、その解消、あるいは代償としてなんらかの

刺激を求める。その刺激を求める行為が、ガンになりやすい

ような生活習慣につながるのではないだろうか、ということ

です。


 ひどく偏った食生活や、極端に偏った生活習慣をすれば、

さまざまに重い病気のリスクは増えますよね。そのリスクの

中にガンも入るだろうということですが、それだけにはとど

まらず、その意識がもたらす身体の状態が、直接、遺伝子に

変異を起こして、細胞をガン化させるのではないかと思った

のです。ようするに「病は気から」という話なんですね。


 その頃、「病は気から」なんていう言葉は、ほとんど死語

になっていました。むしろ、そんなことを言えば、「非科学

的な頭の古いバカ」のような扱いを受ける時代でした。とこ

ろが、30年以上を経た現在。どこの街にも心療内科が普通

にあります。心のあり方が身体に直接問題を起こすというこ

とが医学的、社会的に常識になったのですね。「病は気か

ら」が復活したのです。常識は変わるものです。


 私は、間接的なものを含めれば、病気のかなりの部分は

「病は気から」だと考えています。

 「仕事のストレスを紛らわすため、毎日浴びるように酒を

飲み、肝硬変になった」というような場合、根本的な原因は

仕事のストレスでしょ?「病は気から」と言えます。

 そのように、多くの病気の元をたどれば、精神的な苦しさ

から逃れる為の行為が見えてきます。

 その、病気の元となる苦しみが生まれるのは、本来の自分

にそぐわない生き方をしている(あるいは、せざるを得な

い)からではないでしょうか? そして、「自分にウソをつ

く」ほど本来の自分にそぐわない生き方をすれば、重い病気

になるだろうと思うのです。そして、その象徴的なものがガ

ンだろうと考えたわけです。


 ガン細胞は、全体の調和を保とうとしている身体の中で、

それとは無関係に増えてゆくのですけど、その振る舞いは、

身体の声にも心の嘆きにも耳を貸さず、身体と心からエネル

ギーを取り込みながら肥大しようとする、アタマのアナロジ

ーになっているわけです。なので私は、「自分にウソをつく

ガンになる」と思ったのです。けれど、意識の形が、身体

あり方に反映するのでしょうか?


 先に述べたような食生活や生活習慣に特段の偏りが無くて

も、日々、強いストレスを持ちながら、それを意識できずに

(自分をダマして)生活していれば、新陳代謝にもかなり影

響を与えるでしょうから、活性酸素の処理が上手くいかない

とかいうような原因で、ガン細胞が多く発生したり、ガン細

胞を潰してくれるはずの NK 細胞の活性が落ちたりして、ス

トレスが直接的にガンの発症につながる可能性はあるのでは

ないかと思います。あくまで可能性ですけどね。


 薄っぺらな医学知識しかない人間がそんな推測をして、何

が言いたいかというと、「自分と闘うな!」ということなん

です。


 わたしたちの身体は、いつだってガンと闘っているので

す。

 毎日何千個ものガン細胞が生まれますが、身体がそれを潰

してくれている。

 食生活や生活習慣のせいで病気になりそうでも、なんとか

そうならないように、身体は四六時中働いている。けれど、

それで対処しきれなくなるまで身体の声を無視し続けると、

病気になる。原因はわたしたちのアタマです。ところが、病

気になると、アタマは病気と闘う。「病気が悪い」と言うの

です。いや、悪いのはアタマです。アタマの傲慢が病気を生

んだのですから。

 病気は、身体と心の SOS か、下手をすると断末魔なのか

もしれない。もしそうならば、そういう状況で「病気と闘

う」ことは、本来の自分の声を封殺することになるのではな

いか?「病気と闘う」と言いながら、自分と闘っているので

はないか? 

 自分と闘う。

 当然ながら、それは自殺行為です。


 なぜ、自分がガンになったのか?

 なぜ、自分が深刻な病気になったのか?

 さまざまな依存症、鬱病、パニック障害、過労死、過労自

殺・・・。それらは、アタマの支配によって生み出されるも

のではないのか?


 病気の陰には自分がいるかもしれない。

 そこに目を向けてみることもせずに、「病気は “自分” じゃ

ないんだから、排除」、というアタマの声に、唯々諾々と従

うのが現代人のようです。


 近藤誠氏の主張、活動に対して「ガン放置療法」などと、

皮肉のようなレッテル貼りをする人たちがいるけれど、私の

知る限り、近藤氏が「放置療法」などと述べたことはないと

思う。

 近藤氏は「その方の人生に良い効果をもたらすことが期待

できるのなら、どのような治療をしてもいいし、緩和ケアを

するのもよい。放っておいても進行せず、勝手に治るガンも

あるので、放置して様子を見るのも選択肢の一つだ」という

立場であって、なんでもかんでも放っておけなどとは言って

いない。


 近藤氏は、「病気→闘う」という、現代医学と現代人の傲

慢さがはびこる社会に、「病気→付き合ってみる」という、

おおらかな生き方を提示した。残念ながら、その想いはほと

んど広がっていないが・・・。


 医療は、人が機嫌よく生きる手助けをするものであって、

アタマの望み通りに身体や心を支配する為にあるのではな

い。もっともタチの悪いガンは、わたしたちのアタマだろ

う。けれど、近藤氏の示すように、アタマとも付き合ってや

べきなのだ。だって、それは "在る” のだから・・・。


 病気と闘うな。

 自分と闘うな。


 近藤氏がそこまで思っていたかどうか・・・。

 私は、思っていたと思うのだが・・・。






 

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