2023年2月11日土曜日

試練



 少し前のNHKの『こころの時代』で、『当事者は嘘をつ

く』という本を書いた小松原織香という方のインタビューを

見た。

 19歳の時に知人の男性から性暴力を受けたことが、その

後の彼女の人生を方向付け、いまに至るまでどのような展開

をみせたかということが語られていたが、話を聞きながらい

くつもの言葉が私の頭に浮かんで来た。今回のタイトルにし

た「試練」もその一つで、これからその時に浮かんだ言葉を

キーワードにいくつかのブログを書こうと思っている。


 小松原さんの話が、なぜ私の頭からいくつもの言葉を引き

出したかというと、それはたぶん、彼女が執拗に自分に正直

であろうとしている姿勢からだろうと思う。その姿勢が、う

わべだけではない語りを彼女にさせ、それが私の頭を強く刺

激したのだろうと思う。


 本のタイトル『当事者は嘘をつく』というのは、試練に合

った人が、自分でも気付かずに表面的なつじつま合わせをし

て、表面的な安心を得ようとすることを指していると思う

(本はまだ読んでいない)。それは人の情として致し方ない

とも言えるけれど、それで本当に安心できるのか? 彼女はそ

こを見過ごせない。「そんなことじゃないんだ」という心の

つぶやきを無視できないのだろう。だから徹底的に正直であ

ろうとする。

 人は自分を肯定しようとして、自分や他者に対して「嘘を

つく」。「嘘」というよりは、「ごまかし」「すりかえ」を

してと言う方がより実情を表しているだろうけれど、それで

は本当に自分を肯定できない。そのことを彼女は気付いてい

る。だから「そんなことではないんだ」という焦燥にかられ

て、どこまでも自分の内面と世の中の本当を掘り進めて行

く。


 「試練」の大きさは人それぞれだけど、誰でも生きていれ

ば大なり小なり「試練」に合う。その「試練」は、人を “普

通” から “マイナス” へ突き落す。そして誰もが、その “マイ

ナス” から、せめて “普通” へと這い上がろうともがくことに

なるけれど、もしそこに、自分に対する嘘があったらどうな

るか? そうやって這い上がった先に自分はあるか?

 彼女はそこに自分はないだろうと感じているのだろうし、

「這い上がった」というのも見せかけに過ぎないのではない

だろうか? と、思うのだろう。


 人は「試練」から這い上がったり、「試練」を克服したり

できないだろうと私は思う。

 ときどき、「神は、人に乗り越えられない試練を与えな

い」とか「試練は神があなたを試しているのだ」などと言う

人間がいる。そういうセリフを聞いたりすると「バカか」と

思う。重い病の末に死んでしまったり、世の中に上手く適応

できなくて社会の底辺で辛酸をなめながら人生の大半を過ご

すだけで終わってしまったり、あるいは大きな苦しみに耐え

られず自殺したり・・・。

 そのように「試練」を乗り越えられない人は沢山いるし、

なんのために試されなくてはならないと言うのか。ふざけた

ことを言うなと思う。


 「試練」という言葉自体が、(人を)「試し、練る」とい

うことなので、それを前提にすればそういう言葉も出て来る

のだろうけど、「試練」というのは普通の感覚なら「酷い苦

しみ」だ。それは人を試しているのではないし、さらに言え

ば乗り越えるものでもない。

 その「酷い苦しみ」は、それぞれの人がいま立っている場

所の、その足元を作っている一つの大きなピースだ。それが

無ければ、いまの自分ではない別の自分になっていたのだか

ら。そして、別の自分などというものは存在し得ないのだか

ら、とにかくそのピースをふまえて生きるのだ。それをごま

かしたり、無いことにしたりすれば、いまの自分を自分たら

しめている “何か” が欠けてしまう。


 小松原さんが「マイナスに落とされたのはこっちなのに、

なんで自分がそれを回復する為に苦労しなくちゃならないん

だ」という趣旨のことを言っていた。そりゃ、そう思うだろ

う。腹が立つだろう。けれど、それはもう消せない。自分で

折り合いをつけるしかない。だから彼女は自分に嘘をつかな

いように、自分が自分につく嘘にのせられないように苦闘し

ている。

 そして、その苦闘の末には、「苦しみ」は、乗り越えるも

のでも、這い上がるものでもないという気付きが待っている

だろう、と私は思う。

 “マイナス” から這い上がろうとするんじゃなくて、自分を

取り囲む “普通” の世界を、自分の所へ引き下ろすべきなん

だ。(自分の意識の中でだけど)


 「自分に酷い苦しみを与えるような世の中が、“普通” で 

“良い” 世の中なわけがないだろう、そっちが降りてこい。い

や、そっちが上だなんてわけがない。こっちだって、いまこ

うして生きているんだから、上も下も無いだろう!」そんな

風に毒づいていいのだ。


 小松原さんの話の中で一番印象的だったのが、(自分が経

験し、感じ、考えてきたことを整理する為に)「チープな物語

を作らな方がいい」という言葉だった。*( )内は私の推測で


 “世の中の推奨するような、表面的なつじつま合わせのお話

しに合わせて、自分を騙したら、大きな何かが失われてしま

う” そんな思いがあるのだろう。 


 世の中からも、自分の意識からも「チープな物語」を剥ぎ

取れば、いま生きているという本当だけが残る。

 「苦しみ」も「喜び」も、それが “過ぎ去る(過ぎ去っ

た)お話し” であることを、徹底した正直さで確かめたと

き、人は嘘のない自分に出会う。それは人が本当に望むこと

ではないだろうか?








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