2023年2月24日金曜日

無意味の意味



 「無意味の意味」。なにやら意味深な感じのするタイトル

だと思いますけど、ハッキリ言って、あざとい。いやらしい

ねらいがありそうですが、まぁそうです。何をねらっている

のかはおいおいあきらかになるでしょう。


 このブログでは、矛盾した言葉の使い方をよくします。

「有るけど無い。無いけど有る」とか「一にして全。全にし

て一」とかいうような感じのことですね。

 また、以前書いたことと逆のことを書いている場合もある

でしょう。「どっちなんだ。話が違う」と思われかねないの

ですが、そんなこと私はどっちでもいいと思っているので、

その時々の目的が果たせれば整合性が無くてもいいのです。

言葉にできないことを伝えようとしているので、それが伝わ

る可能性を探っていると、言葉という道具はその場しのぎの

用が足りればそれでいい。矛盾しようが、その時々に言うこ

とが変わろうが、その時の話の流れに適切ならば OK だと思

っています。


 言葉というものは道具です。普通「考え」を組み立て、

「考え」を伝える道具として使われます。けれど、言葉を使

う究極の目的は、「考えられないこと」を考え、「伝えられ

ないこと」を伝えることだと思います。言い換えると「意味

を使って無意味を感じ取り」、「意味を使って無意味を感じ

取ってもらう」ことです。たとえば、こういう詩がありま

す。


  rose is a rose is a rose is a rose

    ~ バラは バラは バラは バラ ~


 ガートルード・スタインが書いた、世界で最も有名な詩の

一節ともいわれる言葉ですが、この言葉はそれ自体なにも意

味していません。無意味です。ですが、ある程度、感性的な

部分を大事にする人なら、この言葉にふれると何かしら引き

込まれるような想いを持つのではないでしょうか。意味付け

できない “何か” へと。


 形容していない、評価していない、説明もない。いや、読

む人、聞く人に、形容させまい、評価させまい、説明させま

いとしている。そして、ただ「バラ」が目の前に差し出され

ている。意味付けしなくても、意味付けできなくても「

」は存在していることを示している。意味に納まらない価

値とでもいうようなものを伝えようとしている。(こういう

説明というか意味付け自体が無粋ではありますが)


 人間の世界の中の「無意味」は、それこそただの「ナンセ

ンス」だけれど、人間の理解の枠組みに入れられない「無意

味」は「⁉」とでも表すべきでしょうか。それは「ナンセン

ス」ではない。


 意味の外にあるもの、意味が作られる前からあるもの。そ

ういうものが在ることを、わたしたちのアタマはすぐに忘れ

てしまう。いや、無視しようとする。そして、意味の世界に

引きこもって安心を得ようとするけれど、その目的は永遠に

果たせない。どんなに自分の前に繋ぎ合わせた意味を並べて

も、意味付けできない世界が視界の端に見えてしまう。


 「現にそれ(意味付けできない世界)は在るし、隠しきれ

ないんだから、しっかりと目を向けたらどう?」スタインは

そう言っている。そして、それが言葉にならないほど豊かで

美しい世界であることを言うために、「バラ」を差し出して

いる。


 意味付けできない世界は、意味を使わずに受け取るしかな

いけれど、意味(言葉)を使うことで、逆に意味の外へ目を

向けることができる。意味の外の世界に足を踏み入れること

ができる。その為に言葉を使わないのならば、言葉を手に入

れた値打ちが無いだろうと思う。


 言葉に囚われ、言葉に振り回されることから卒業すること

は、人として生まれた甲斐のあることではないでしょうか?




 

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