2023年2月12日日曜日

たまたまそうだった



 前回からの続きです。(シリーズかな?)

 これまでも何度か書いたことがあるけれど、私は必然論者

です。この世界のすべては必然的に「そうなるようになって

いる」「なるべくしてなっている」と思っているわけです。

そう思わざるを得ないので、そう思っているわけですね。

 運命論とは少しニュアンスが違って、「すべては決まって

いる」というような、シナリオがあるというような感覚では

ない。運命論にはなにか大仰なものを感じるし、運命論を語

る人は物語的なこだわりを持っているように思うので違和感

がある。なので、必然論者という方が私はしっくりくるので

す。


 不運だと思うことも、幸運だと思うことも、たまたまそう

なるだけで、そこに意味もシナリオも無い。それをわたした

ちがどう受け取るかということも、そのときどきにたまたま

そうなるだけで、そうなるべくしてなっている。身も蓋も無

いけれど、私はそう思っている。いや、そう思わされてい

る。


 「そんな考え方をして虚しくないのか」とか言われたとし

ても、そう思ってしまうのだから仕方がない。そうなってい

る。私が何を考えようと、何をしようと、私のせいじゃな

い。

 無責任な話ですよね。でも、それと同時に、他の誰が何を

考えようと、何をしようと、それはその人のせいじゃないと

も思っている。それも、たまたまそうなるだけだと・・・。


 誰かが私を酷い目に合わせたら、当然ハラが立ったりす

る。けれど、それはたまたまそうなったので、その人のせい

じゃないと思う。それでひと時私が不愉快になっても、それ

もたまたまそうなるだけで、私のせいでもない。

 さまざまな事が私の身に起こる。さまざまな事を私が起こ

す。同様に、すべての人もさまざまな事を経験し、さまざま

な事をする。それらはすべてわたしたちのせいじゃない。風

で木が揺れるようなものだと思う。

 地球上のエネルギーが大気を動かし、その動きで木が揺れ

るように、この世界のエネルギーの動きが、内から外から、

物理的にも精神的にもわたしたちを動かしている。


 起こる事は起こる。起こらない事は起こらない。

 当たり前のことを言っているはずだと思うけど、普通、人

はなかなかそうは思わない。

 「なんでこんなことになった?」

 「なんで思うようにいかない?」

 人はすぐにそういう風に思うものですが、それは要する

に、自分のアタマの都合に合わないと言っているだけです

ね。アタマが自分の都合を持ち出さなければ、「すべてはな

ようになっているだけだ」と受け取れるはずです。


 困る事が起きれば、そりゃぁ確かに困る。誰も困る事は望

まない。けれど、そんな自分の都合は世界には関係ない。起

こる事はしようがない。困る時は困ればいい。困るしかしよ

うがない。そのとき困る事が、そのときの自分の命の在り方

なので・・・。


 苦しむことも、楽しむことも、どんなことも、たまたまそ

うなるだけです。そもそも自分がいま存在しているのもたま

たまだし、この宇宙が存在しているのも、たまたまでしょう

し・・・。
 

 自分の身に起きる事や自分がすることに対して、自分の価

値とか自分の能力がどうだとか、徳を積んだかどうかという

ようなことを考えがちですけど、自分の価値や能力や徳のよ

うなものも、自分の身に起きていることに過ぎません。わた

したちが思っているような意味での「自分にできること」は

何も無い。そう感じられるのならば、無責任で気楽なもので

す。

 苦しみながら、喜びながら、右往左往七転八倒しながら、

心の中心では気楽なものです。

 自分も世界もなにもかも、「たまたまそうなっているだけ

のお話しなんだ」と。





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