2023年6月22日木曜日

断・捨離



 〈 より少なく所有する者は、より少なく支配される 〉

                       ニーチェ


 断捨離が流行るのは、「支配されている」という感覚を無

意識に感じている人が多いからかもしれない。金に支配さ

れ、仕事に支配され、人間関係に支配され・・・、要するに

社会に支配されていると。


 一つの物を捨てれば、それに付随する社会のしがらみか

ら、一つ分自由になれる。「しがらみ」というのは、その物

に関わる一つの物語。

 自分のアタマの中にあるその物語を、物ともども放棄する

ことで、心のスペースもその分だけ広くなる。

 一つ捨て、二つ捨て、さらにさらに捨てて行けば、心のス

ペースはどんどん広がって行く・・・という風には、残念な

がらならないだろう。


 心の中には、常に思考と感情と衝動が満ちていて、そこか

ら何かを取り除いても、すぐに別の思考や情動がその場所を

埋めてしまう。その心の働きを止めることはできないだろ

う。断捨離をすれば物質的なスペースはもちろん広がるけれ

ど、心のスペースを広げることはできない。けれど、同じ大

きさの風船とボーリングの球では、占める空間は同じでも重

さはまったく違う。その意味で、重たい物語や強硬な物語を

まとった物を捨て、軽い物語や柔らかな物語に関する物に取

り換えるのは、心の健康に良いだろう。


 と、そんなことを書いてはみるが、私は断捨離について詳

しく知らない。その手の本を読んだりしたことがないので、

なんとなく「こういうことだろう」と思っているだけです

が、現代人にとっては良いことだろうと思っている。その断

捨離に対する私の立ち位置を踏まえてもらった上で、今回の

タイトル『断・捨離』の解説を始めましょう。


 『断・捨離』。「捨離」を「断つ」という意味合いです。

「“捨て、離れる” という意識も断ってしまえばどうでしょう

か?」 と・・・。


 断捨離は心の健康に良い。それは間違いないと思う。けれ

ど「断捨離しよう」という意識は、断捨離が進まない場合に

自己嫌悪や焦燥感を生みかねない。断捨離に囚われてしまっ

ては、断捨離自体が重くなってしまう。なので「捨離」を

「断つ」。「捨離」にこだわってしまわないようにする。

「できればいいけど、できなくても、まぁいいじゃん」とい

うスタンスでいること(断捨離関係の本を読んだら、たぶん

そういうことも書いてあるような気がする。知らんけど)。

 人は手段と目的を取り違えることが得意なので、きっと、

世の中には「断捨離信仰」みたいな意識になっている人が結

構いるだろうね。そういう人は、物や、それにまつわる物語

を捨てながら、断捨離という義務を背負いこんでしまってい

るだろう。それじゃぁつまらない。


 捨てても捨てられなくても、それはそういう “なりゆき” が

現われているのであって、自分のせいではない。捨てる自分

を楽しみ、捨てられない自分を愛おしむ。

 執着からも、執着からの解放も意に介さない。そういう場

所が自分の中にあることに気付いていること。


 心のスペースを広げることはできない。けれど、普通意識

している心のスペースの外には、無限の意識の空間が広がっ

ている。それに気付けば、その瞬間、意識の中心はそこにあ

る。そこは何も無いので、なんの重さも圧迫も無い。たとえ

表面上の意識がどこかに閉じ込められ、何かに押しつぶされ

そうになっていても。


 断捨離は良いことだ。けれど、それにこだわって囚われて

しまえば、骨折り損だろう。

 アタマは物事を複雑にするのが大好きだ。おかげで人はい

らぬ苦労をする羽目になる。命というものは単純なものなの

にね。だって、基本的には生きてるだけなんだから。


 〈 より少なく所有する者は、より少なく支配される 〉とい

う言葉をちょっと作り変えてみようと思ってたんだけど、話

が長くなったので、この次に・・・




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