2023年6月23日金曜日

「支配」と「自由」



 前回は、書こうと思った事と全然違う方へ話が転がってし

まったので、あらためてこの言葉から始めましょう。


〈 より少なく所有する者は、より少なく支配される 〉
                      ニーチェ


 「所有する」ということは「関係を持つ」ということです

が、物であれ事であれ、何かと関係を持てばその分だけ自由

度が減りますから、その減った分だけ「支配される」とみな

すことができるので、ニーチェは上のような言葉を発したと

いうことでしょう。そこには、多く所有したがる者の愚かさ

と、所有することが決して幸福ではないということに気付か

ない人々を揶揄する狙いが有るのでしょう。

 「所有することで、それを自由にできる」、人は通常そう

考える。確かに一面ではそう言えるけれど、ことはそんなに

単純ではない。あらゆる事は、見方を変えれば別の面が浮か

び上がるものです。なのでこんなことも言えるでしょう。


 〈 支配する者は、「支配」に支配される 〉yamasho


 私はこういう表現は好きなんですけど分かりにくいでしょ

うね。

 ということで、こんな言葉も合わせて読んでもらえば、言

いたいことを分かってもらえるんじゃないでしょうか。


 〈 王は「王位」の僕(しもべ)となる 〉 yamasho


 最も分かりやすい例で言えば、「冷酷な独裁者は、権力を

失うと政敵に殺されると考えるので、権力を維持することに

命を費やすことになる」とかですね。自分が権力を使ってい

るのではなく、自分が権力に乗っ取られてしまうわけです。

当人はそうは思わないのでしょうけどね。

 企業の経営者なんかも大抵そうですね。事業に成功し、規

模が大きくなればなるほど、事業からさまざまな要求が出て

くることになり、それに応えなければならなくなります。自

分よりも経営者という肩書き(役割)の方が大きくなり、自

分ではなく「肩書き」を生きることになります。自分は「肩

書き」に使われる立場になるのです。けれど、当人はそんな

こと気付かない。

 気付いて、世のため人の為に、百も承知でその立場を背負

い続ける人も、中にはいることでしょう。そういう人は立派

だし尊敬しますけど、ごく稀ですね。


 エゴの要求に従って何かを得た者は、それに支配されてし

まう。度が過ぎれば自分の生を失うことになる。実際に命を

失うこともある。そのような目に合わないためには、こうい

う言葉が役に立つでしょう。


 〈「自分」を支配することさえあきらめた者は

        なにものにも支配されない 〉yamasho


 すべての「支配」をあきらめ、自ら何かを得ようとするの

をやめた時、そこには生身の自分がある。正味の自分に気付

く。


 世の中に揺さぶられ、惑わされることから、わたしたちは

逃れられない。けれど、そのような自分であることに抵抗せ

ず、追従せずに、時おり生身の自分に立ち返るのならば、そ

こに自由があることを感じられる。生きていることは、単純

で、軽くなる。

 ということで、今回の結論の言葉を。


〈 何一つ支配しようとしない者が、最も自由な者だ 〉
                
                      yamasho



 なかなか良くできたと思うけど、自分でそう思うだけかも

しれない。まぁどっちでもいい。ああ、自由だなぁ💚




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