2023年7月1日土曜日

運動会は嫌いだった



 ネット上には、社会に対するさまざまな意見があふれてい

て、沢山のフォロワーが付いているオピニオンリーダーのよ

うな人間も多くいる。カリスマ的な人もいるけれど、所詮は

社会の中で運動会をしているようなものだろう。「騎馬戦」

とか「棒倒し」とか。


 私は小さい頃から運動会は嫌いだった。からだを動かすこ

とは好きで、走り回ったり何かに登ったりして遊んでいたけ

ど、運動会や体育の授業で何かをやらされるのは気乗りしな

い子供だった。そういうのは大抵競わされるからね。自分自  

で楽しむのではなくて、あらかじめ決められた成果や、誰  

からの評価を求められて楽しくない。

 楽しいとしても、それはある評価基準を満たす成果が出せ

た時で、そういう場合は、ほとんど誰かの上になるか、誰か

より先んずることができたということで、からだを動かす楽

しさの純粋性を汚すことだろう。後になった者は気分が悪い

わけだし・・・。私が「体育会系」となじまないのはそうい

うことだろうね。


 もちろん、子供の頃にそんなことを考えるわけもないの

で、ただ単純にイヤだっただけで、今考えれば「そういうこ

とだったんだ」という話です。なので過去のこととして片付

けばいいのだけど、残念ながらそうはならない。

 子供にそういう教育をするということは、当然、社会とい

うものがそのようなものだからです。社会はいつでもどこで

も運動会をしている。物理的にも精神的にも。


 「どっちが強いか」

 「どっちが正しいか」

 「勝った! 負けた・・・」

 そんなこと、人が生きることの本質とは何の関係も無い。

見てる分には面白いけどね。 「他に楽しみは無いのか

い?」 と思うけど、それを言うと面倒なことになるので知ら

ないふりをしている。ほとんど社会から外れたところでこん

なブログを書いている。


 運動会に疲れたり飽きたりした人が、ふと校舎の裏側まで

息抜きに来た時。そこに、運動会の喧騒とは無関係に、木が

風に揺れていたり、池に金魚が泳いでいたりするだろう。石

に腰を掛けてくつろいでいる人がいるかもしれない。このブ

ログがそんな場所であればいいと思う・・・けど、少しくど

くどしいよなぁ😓 校舎の裏庭の手前にヤブがあるとでも思っ

てもらいましょう。


 聖人ぶった口をきく奴や

 利口ぶった書物を書く奴は

 いない方がいいんだ

 いない方が人民の暮らしは楽になるんだ

 道徳なんか貴んで正義をふりかざす奴に脅かされなければ

 かえって、普通の人は互いに慈しんでゆくものなのさ

       ~『 TAO - ヒア・ナウ』加嶋祥造 より ~ 


 聖人ぶっても、利口ぶっても、引っ掻き回しているだけな

んだ。そういう人間は引っ掻き回すのが好きなだけなんだ。

一方が完全に相手を制圧したとしても、自分を応援していた

者の中から、必ず「アイツの言うことは少しおかしくなって

きた。気に入らない」という人間が出てくる。そしてまたゴ

タゴタが始まる・・・。社会は安らぎを嫌うから。アタマは

安らぎを嫌うから・・・。


 離れて見ている方がいいんだ。けど、子供の頃から教育さ

れちゃってるから、そういうもんだと思って、みんな “運動

会” をやっている。それ以外知らないので離れるのは不安だ

し・・・。


 運動会は嫌いだよ。

 たぶん誰でも、自分の心の奥の奥を探ればその言葉が見つ

かるだろう。土ぼこりの下に隠れているだろうから、そんな

もの無いと思っているだけでね。


 やりたい者はやればいい。けれど、誘わないでくれ。断る

のだって面倒なんだからね。


 もう近くの山でヤマモモの実が熟す頃だ。明日天気が良く

なったら、ひとりで木に登って、実を摘んで食べて楽しも

う。

 からだはからだの為に動かすものだ、自分で自分のからだ

が動くことを楽しむのが本来なんだ。アタマの作ったゲーム

よりずっと楽しいよ。だってそこに「勝ち負け」なんて無い

んだから。



0 件のコメント:

コメントを投稿