2023年7月1日土曜日

同調圧力は存在するのか?



 今回は「同調圧力」について。


 「同調圧力」という言葉は昔からあったけど、ここ数年よ

く耳にするようになった。コロナ騒動の影響が大きいだろう

なぁ。


 昔から「同調圧力」という言葉にはなんだか違和感があっ

たけれど、あらためて考えてみれば「同調圧力」なんてもの

有るのかなと思う。

 どんな社会にもその社会のスタンダードがあるから、それ

から外れるとなにがしかの疎外感を感じるのが当たり前だ

し、その外れ具合によってはスタンダード側から批判が来る

のも自然だろう。なぜなら、スタンダード側からすれば、外

れてる奴がノウノウとしてると、スタンダードでいる意味や

価値が揺さぶられて不安になるからね。

 なので、私のような社会的に非スタンダードな人間は、な

にくわぬ顔で社会をたしなみながら、こんなところでスタン

ダードな人の顔が引きつるようなことを書くことになる。こ

のブログに書いているようなことを日常的に話したら、社会

をたしなむことさえ許してもらえなくなるだろうからね。


 だからといって、そういう私自身の社会での不自由さを、

「同調圧力のせい」だとは思わないし、特に圧力も感じな

い。「自分が非スタンダードなんだから、スタンダード側と

折り合いが悪いのは当然だよなぁ」と思うだけ。基本的に

は、スタンダード側に対して「こちら側に歩み寄れ」なんて

言ったりしないし。

 スタンダード側にはスタンダード側の事情があって、それ

なりに落ち着いて、それなりに生きてらっしゃる人たちを邪

魔する権利は、私には無い。「お好きなように・・・」と思

って見ているし、お相手もする。こちらに実害が出ないよう

ならね・・・。


 「同調圧力」っていうのは、「違うことをするな ! 」って

プレッシャーがあるということを言いたいのだろうけど、そ

んなプレッシャー本当にあるのかな?


 コロナ騒動の最中、「自粛警察」とか「マスク警察」とか

呼ばれるような人間が出て来て、皆に合わせようとしない人

間に嫌がらせや圧力を加えるみたいなこともあったようだけ

ど、ああいうのは「同調圧力」というより、集団ヒステリー

の発作だろう。

 「集団ヒステリー」というのは、【人の集団の中で何らか

不安が大きくなった時に、強く不安を感じる人たちが不安

ごまかす為の物語を無意識に作って、その物語の中に閉じ

もってしまうこと】だと、私は認識している。そして、そ

の物語を傷付けるものが現われると、不安が顕在化してしま

うので、非常に怖れ、硬い防御や攻撃という “発作” が現われ

るわけです。なので、ああいうのは「同調圧力」というもの

とは違うだろう。


 「同調圧力」と見なされるようなものは、「集団ヒステリ

ー」のように強く現れることはないだろう。「じわ~~」っ

と無言で迫って来たり、進路をはばむ見えない壁のような感

じがするものだろう。けれど、それは「圧力」ではないよう

に思う。

 それは、スタンダード側が持つ “やみくもな正当性” から漂

う、暑苦しさや違和感とでもいうようなものだと思う。そし

て、そんな暑苦しさや違和感を感じるのは、非スタンダード

側が、スタンダード側へのコンプレックスや「自分は異常で

不当なのかもしれない・・・」という不安を持っているから

なんじゃないだろうか?

 スタンダード側からの「圧力」が有るのではなく、自分の

意識の上に自分でこだわりを抱えてしまい、それを重く感じ

ているのではないだろうか? 自分で意識し過ぎて、自分で重

荷にしてしまっているのでは?


 「同調圧力がある」と非スタンダードな人が感じるのは、

自分の物語に不安が有るから。

 そして不安が生じるのは、スタンダード側に関わる形で物

語を持つせいだろう。スタンダードではないものの、スタン

ダード側の価値観の延長線上に自分の物語があるので、影響

を受けてしまうんだろうと思う。


 スタンダード側とは利害関係の生じない物語を持つ方が良

い。つまりスタンダード側の持つ価値観の中には無い物語を

持つこと。「価値」を自分で創造すること。

 「価値」などというものは、人間が勝手に決めるものなん

だから、社会でスタンダードな価値だって、そこに絶対の根

拠があるわけじゃない。「そういうことになっている」とい

うだけでしかないけれど、「絶対の価値」や「新しい価値」

というようなものを求めるのは、とても骨が折れるし不安な

ので、現在の価値体系を崩さないようにしているだけ。


 そのように、根拠のない価値観の上に作られた物語なの

で、その物語はちょっとしたことで揺さぶられてしまうもの

です。だから、揺さぶられない為に、別の物語とは関わらな

いように無視したり鼻で笑ったりする。そのようにして “やみ

くもな正当性” が生まれ、暑苦しさと違和感を漂わせることに

なるわけです。

 「同調圧力」というようなものを感じるならば、一度自分

の価値観・物語を確かめてみるべきでしょう。「自分は世

とは違うようだ・・」などと思いながら、その実、同じも

を裏側から求めているだけかもしれない。


 ボクシングに例えるなら、同じリング上にいて違うトラン

クスをはいていれば、それは敵です。攻撃の対象です。

 「この世の中とか常識って、おかしいよなぁ」と思うな

ら、リングから降りてみることです。トランクスを相手と同

じ色にはき替えられないのならばね。


 リングの上だけが世界じゃない。外にも世界はあるし、そ

こは闘いの無いところですよ。ファイトマネーは得られない

ので、生き延びられるかどうかは分かりませんが、清々する

ことは間違いないでしょうね。


 ただ、この世界では、リングの外にまたリングが連なって

いるので、「リングを降りたつもりが、別のリングの中だっ

た・・・」ということがありがちです。

 リングの外はどこに在るのか?

 それを探すのは、人生を賭ける値打ちがあるように思いま

すけどね。





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