2023年7月4日火曜日

ゴールドラッシュのあとに



 「今は文化のどん詰まり」。そういうことを何度も書いて

きた。

 産業革命以降、19~20世紀の間、大量の資源とエネル

ギーを投入できたことで、文化は指数関数的ともいえるよう

な多様化と拡大を見せた。文化のゴールドラッシュのような

ものだったのだと思う。そのゴールドラッシュの、最盛期あ

るいは爛熟期とでも言える時代を私たちは過ごしてきたのだ

と思っている。

 けれど、私たちは他の時代を経験していないので、そのゴ

ールドラッシュを「そんなもんじゃないの?」と普通のこと

のように思っているようだ。けれどそれはたぶん、大きな間

違いだろう。私たちは文化的にとても異常な時代を生きて来

たのだ。そして、おそらくその時代の終焉も見ることになる

のだろうと思う。いや、もうそれを目にし始めているだろ

う。


 ゴールドラッシュは終わった。20世紀と共に。

 時代の流れの中に次々と見つけられた “新しいもの” はもう

取りつくされ、川床にはほとんど残っていない。それでもま

だ、人々は川底を探り続けている。

 時折り、わずかばかり取り残された “砂金” を見つけること

があると大騒ぎする。最早、探り続けることが習い性になっ

ていて、そのこと自体を「楽しい」とする暗示にかかってい

るので。

 もうすぐ、輝くものは完全に出て来なくなるだろうから、

これまで得たものを大事にやりくりして楽しむほかなくなる

だろう。けれど、わたしたちは飽きやすい。多くの人は “新

しいもの”を求めて働き続けるに違いない。でも、いくら川底

をかき回しても、水が濁るだけ。


 川底を探るのをやめれば、川は澄む。しかし、本流では多

くの人が引っ掻き回すのをやめないだろうから、川が澄むこ

となどない。この世の終わりまであなたがそこにいたとして

も、澄んだ川を目にすることはできないだろう。社会は安ら

ぎを嫌う。アタマは止まることを怖れる。


 もしも、あなたが本流ではなく、小さな枝沢に独りでいる

のなら、あなたが掻き回すのをやめれば、川はすぐに澄む。

その澄んだ流れのせせらぎの音を聴くこともできる。その水

を飲むこともできるだろう。足を浸けて涼むこともくつろぐ

こともできるし、そうしていれば、鳥のさえずりも聞こえる

かもしれない。


 わたしたちはこの世界の中に居ながら、自分たちが “価値

がある” とした「文化」というものだけに目を向け、世界を

見ようとしなかった。


 自然を見る時でさえ、そこに「文化的」な価値を投影しな

がら見ていた。自分たちのアタマで世界を引っ掻き回して、

世界を濁らせてきた。

 世界は「価値」によって汚染されて、その本当の姿も分か

らなくなった・・・。


 ゴールドラッシュは終わった。

 丁度いいだろう。終わりを認めたくない者は放っておい

て、あなたは独り本流を離れ、“何か” を探すことをやめ、澄

んだせせらぎに心を向ければいいのではないか?

 「得ることの喜び」はもう終わろうとしている。

 あなたや私は「在ることの喜び」を楽しめばいい。そのゆ

とりの中なら、かつて手に入れたものをあらためて楽しむこ

ともできるだろう。鳥のさえずりのように・・・。


 あなたがこの世界に手を突っ込んで、“何か” を得ようと引

っ掻き回すのやめれば、即座に世界は澄む。いますぐにそれ

は確かめられる。

 目の前の濁った流れから、ただ手を引けばいい。それだけ

のことなのだ。
 




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