2017年8月12日土曜日

意識について Ⅱ


 前回、〈意識〉についていろいろ書いている内に、何を書

こうとしていたのか忘れてしまいました。最初に言おうとし

た本題が何処かへいってしまったのです。で、前のブログを

読み返してみて思い出しました。「意識の不思議」について

書きたかったのです。では、意識の不思議について・・。


 〈意識〉ほど不思議なものはありません。

 不思議でしょ? 

   そんなこと別に考えませんか? 

 考える事があるはずです。そういう事を考えない人は、こ

んなブログなんか、バカバカしくて見たりしませんからね。

 〈意識〉ほど不思議なものはありません。

 なにが不思議か? 

 何故〈意識〉があるのか? 何の為にあるのか? というこ

とが根本的な “不思議” です。


 〈意識〉が生まれたメカニズム。

 〈意識〉が存在する意義。 

 というものは、誰にもわかりません。せいぜい自分の気の

済む様な理由を考えて(あるいは誰かに考えてもらって)、

一応「それで良し」とするだけです  たいがい “神” が出

て来てしまいますね。


 「不思議」という言葉は、「考えが及ばない」ことですか

ら、考えるだけムダみたいですけど、「考えに考えて、答え

が出ない」(というより、答えが無い!)作業は、〈意識〉

の在り方に今までとは違った部分が出来てくるので、全然ム

ダではなく、「社会の役に立つ」様なことを考えるより、ず

っとマシです。〈禅の公案〉みたいなものですね。

 では、何故〈意識〉はあるのか? 〈意識〉は何の為にあ

るのか? を考えてみます。


 〈意識〉が生まれたメカニズムは、もちろん分かりません

が、 ひとつ確かなのは、人間の本能は壊れていて(不完全

で)、そのままでは生きて行けないので、〈意識〉で補うこ

とで環境に適応しなければならないということです。以前に

も書いたことが有りますが、“感覚的” にも “言語的” にも、

学習に依存しなければならない部分が非常に多い。その必要

にせまられて〈意識〉が生まれたのだと思います。

 もし〈意識〉を生み出せていなければ、現生人類は滅び去

っていたかも知れません。


 〈意識〉の中で、「思考」の部分が何故生まれたかについ

ては、前回書きましたから省略するとして、「情緒」の部分

はどうか?

 もともと「情緒」は、「危険」を“不快”とし、 「安全」

を “快” としてラべリングすることで 、生存率を高めるため

にあるものでしょう。そこに「思考」が加わったことで、喜

び、怒り、悲しみといった「抽象的な危険・安全」に対して

もラべリングし、細分化するようになって、今のわたしたち

の「情緒」となったでしょう。

 では〈意識〉の中の「命」は何故生まれたか?


 そもそも私が今回「命」と呼んでいるものは、適当な表現

を思いつかないので、仮に「命」と言っているわけですが、

これを「心」とか「魂」とか「本能」とか言っても、まぁ良

いわけです。でもそれじゃあ何かしっくり来ないので「命」

としました。ここで言う「命」とは、個体の生命に止まら

ず、宇宙全体の生命活動が持っている “自律性” というよう

なものです。(言葉に出来ないので、苦し紛れに “自律性”

ということにしましたが、・・・分かってもらえる自信があ

りません)


 わたしたち人間も他の生き物も、あらゆる物質の循環の中

にあります。私の身体にも、あなたの身体にもあらゆる元素

が含まれていて、それらはキャベツやトマトや、魚や豚や鶏

や鉄のフライパンなど、さまざまなものを巡ってわたしたち

の身体に固定されます。さらに、わたしたちの排泄物や剥が

れ落ちた皮膚などは他の生物に取り込まれ、生命の循環の中

を動いて行きます。

 生物だけにとどまらず、あらゆる物が生命活動で繋がって

いますから、〈個体〉ごとに生命を切って考えることは、不

幸なことじゃないかと思います。

 わたしたちひとりひとりの「生きよう」とする衝動は、生

命全体の自律性の顕れであって、わたしたちの「命」は〈全

生命〉の拍動のようなものだろうと思うのです。(分かり難

いなぁ・・・仕方ないけど)


 で、何が言いたいかというと、〈意識〉の中の「命」は個

人のものではないと・・。

 もともと生命全体にあるもので、生物の個体になったら自

ずとセットになって来るものだ、ということを言いたいんで

す。わたしたち一人一人が生まれる時に、〈宇宙全体の意

識〉の一部が、個体によって仮に区切られるのだと。

 わたしたちが生まれた時に「命」が生まれるのではなく、

もともとあるのだと。では、いつから?

 宇宙の始めからです。 

 



 「何故〈意識〉が生まれたか?」 についてはこれで止め

ておきます。これ以上は考えようがありませんからね。

 答えは出ていませんが、始めから「答えが無い」のは分っ

ている事です。答えを求めているのではなくて、「考えてみ

る」ことで、今までとは違う立ち位置に立とうとしているの

です。「アタマ」から「命」の方へ。



 「〈意識〉は何の為にあるのか? 」については、次回。



(今回書いている途中で、「抽象的な危険」という言葉が生

まれました。誰かが使っていたりするかも知れませんが、こ

ういうキーワードが生まれて来て、考えが整理しやすくなる

のが物を書く喜びなんだよね。

 近いうちに「抽象的な危険」で、ブログを一本書きましょ

う。)

0 件のコメント:

コメントを投稿