2019年6月29日土曜日

反社会的勢力?



 最近、「反社会勢力」とかいう言葉をよく見聞きする。芸

人の闇営業の話題で出てくるのだが(しかし、“闇営業” な

んて酷い言葉だね。「悪い事をしている」というイメージを

強めたいんだろうなぁ)、詐欺グループだとか暴力団を「反

社会勢力」とか「反社会組織」と呼ぶのは妥当だろうか? 

ああいう人たちは「反社会勢力」ではなくて、「二次社会的

勢力」とでも呼ぶ方がいいのではないだろうか? 彼らは、

充分に「社会的」だろうから。


 社会がどうしても内包してしまう “闇” の部分に居場所を

見つけて、その部分で、その部分のやり方で、社会活動をし

ているのであって、決して「反社会的」ではないだろう。彼

らも含めて「社会」なのだと思うね。

 「社会」は、すべての人間を取り込めるほどの柔軟性や完

成度を持っているわけではない。どうしても「社会」が取り

こぼす人間が出てくる。それも結構な割合で。

 その中では、社会不適応を起こす人たちも居る。

 ニート・引きこもり・鬱・パニック障害・自閉症・発達障

害などの人たちや、なんらかの依存症になる人たち。そうい

った人たちは、「社会」に適応出来なくて、「社会」から距

離を置くしかなくなってしまっている。これらの人たちは個

人の枠から出られなくなっているわけなので、「外社会的」

とでも呼ぶべきだろうか。


 一方で、社会不適応を起こしながらも普通とは違う形で社

会適応する人たちがいる。それらの人たちは、社会に裏側か

ら適応しているのであって、「反社会的」なのではない。

「社会」の方では認めたくないだろうけれど、彼らは「社会

的」なのだ。やはり「二次社会的」とでも呼ぶべき存在だろ

う。だって、組織を作ったり、ある目的を持ったグループに

なって、その中で秩序だった活動をしているのだから「社会

的」なんですよ。ただ単に法律を順守しないというだけです

(「ただ単に・・」というのはイケナイか・・)。


 では「反社会的勢力」と呼ぶべきはどのような人たちか?

 「地下鉄サリン事件」を起こした時のオウム真理教など

は、確かに「反社会的勢力」だったと言えるでしょうね。け

れど彼らは自分たちの社会を持っていた、あるいは持とうと

していたのですから、「社会」という在り方自体を否定して

いるのではない。今ある「社会」に反対していたのだから

「反・現社会勢力」でしょう。「この社会は気に喰わな

い!」と言っていたんですね。


 では、「反社会勢力」なのはどの様な人たちか?

 本当に「反社会的」なのは、私のような人間でしょうね。

だって、このブログでは社会を否定する事をいっぱい書いて

いるんですからね。けれど「勢力」ではありませんね。一人

ですからね。


 「反社会的」な人間が「勢力」になるはずがありません。

「勢力」あるいは「組織」になれば、それはもう「社会」で

すから、「反社会的な人間」は個人に留まらざるを得ないん

です。だから「反社会的勢力」だとか「反社会的組織」だと

かいうものは存在しないんですね。そういったものは単に

「違う社会」ということです。


 「イスラム原理主義者」と「キリスト教原理主義者」は、

お互いからすれば「反社会的勢力」でしょうが、それぞれに

それぞれの「社会」を持っているだけですね(仲良くすりゃ

ぁいいのになぁ)。


 ということで、私は「反社会的」だというわけなんです

が、このブログの中でも度々書いているように、人間は「社

会」を作らざるを得ません。「社会」を作らずに生きて行く

ことは、ごく稀な場合を除いて不可能です。なので私も「社

会というものを作ってはいけない」というのではありませ

ん。ただ、「“社会” というものは、個人の集団が生きて行

くための “方法” に留まっていなければならない」と思って

いるだけです。


 人は手段と目的を取り違えるのを得意としている》存在

です。人が生きて行き易くするために生み出した「社会」で

あったはずなのに、「“より良い社会” の為には、人が生き

辛くても構わない」ということになってしまった・・・。人

間は、いったい何をしているのでしょうか?


 今、“生き辛さ” を感じていない人たちの多くは、「社

会」のパーツとして効率よく動けているだけなのかも知れま

せん。そのような人たちは、この先さらに効率化と管理が進

めば、「社会不適応」を起こして「社会」から外れてしまう

ことでしょう。そして最終的には「社会」というシステムか

ら人は排除されてしまうでしょう。ごくわずかな、“「社

会」のパーツに成り切れる人間” を除いて  それを人と

べるかどうかは疑問ですが・・・。


 個人が「社会」の道具とされている限り、私は「反社会

的」に成らざるを得ませんね。「勢力」に成ることはありま

せんがね。

 もし「勢力」になってしまったら、それは私が「社会」に

取り込まれてしまったということですね。


 こうやって、ほとんど誰も知らない所で「ブツブツ」と独

り言を言っているのは、ある意味、当然のことなわけです。



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 こんな話がお好きでしたら、『リアルマトリックス』

(2017/3 )という回も見てね。



 

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