2019年8月10日土曜日

動き続ける病気



 前回、《 真実は沈黙している 》などと書いたものだか

ら、どうにも語りにくくなってしまった。

 「ああだ、こうだ」と口から出まかせを書いてきたあげく

に、《 真実は沈黙している 》なんてことを口走ってしまっ

たのだから、どうにもこうにも・・・。

 「こりゃぁ、まいったね。」と思っている。


 「真実」は沈黙しているのだから、このブログに書いてき

たことは「ウソ」ばっかりだという事です。まいったね。



 禅宗では「不立文字(ふりゅうもんじ)」といって、仏教

の神髄は言葉に出来ないと言う。ところが、言葉にできない

と言いながら、禅宗のテキスト(書かれた物)は他の宗派よ

りも多いぐらいだそうだ。言葉にできないからといっても、

テレパシーで伝えるわけにもゆかず、黙ってもいられないの

で言葉を弄することになる。そして、その努力は完結するこ

とが無い。言葉にできないのだから・・・。

 出来ることは、言葉の誘導によって、なんとか体験に持ち

込もうということだけ。

 手を変え品を変え、数限りなく並べ立てて、誰かが引っか

かるのを待つしかない。


 というわけで、私も誰かが引っかかるのを期待しつつ、口

から出まかせを書き続けようと思うのだが、いったい引っか

けてどうしようというのか?


 転ばそうと思っているんですね。

 アタマが作ったこの世界で転んでほしい。転んで違う視点

で世界を見て欲しい。すでに転んでる人には、目の前の石こ

ろや草に目をとめて欲しい。アタマが作った世界は、所詮ア

タマが作ったものでしかないと気付いて欲しい。それが普通

で当たり前で常識だとしても、それはアタマが作った “作り

物” でしかないし、それはけっして良いものではないという

ことを意識して欲しい。



 様々な主義主張があって、ひとりひとりそれぞれに意見が

あって、それぞれが理想のストーリーを語り、理想から外れ

たものを非難したり攻撃したり嘆いたりするけれど、それら

は結局 ”作り物” でしかなく、自分に都合の良いストーリー

でしかない。



 それぞれが自分の描いたストーリーの中で飛んだり跳ねた

り走ったりして、ストーリーに具体性を持たせようとがんば

る・・・、けれどそれでどうなる? それで世界はどうなっ

てきた? 私たち人間は、わたしたちのアタマは、この世界

に何をもたらした?


 できるだけたくさんの人間が一度転んだ方がいい。

 一度ストップした方がいい。

 みんな「動き続ける病気」だよ。


 「動き続ける病気」には二種類有って、一つは『ドーパミ

ン依存性過動症』で、アタマの興奮から得られる快感に支配

されて、自発的に行動してしまって止められないというもの

で、政治家や起業家やアスリートに多い。

 もう一つは『不安回避型行動症』と呼ばれるもので、『ド

ーパミン依存性過動症』が作った社会の中で、「動かなけれ

ば自身の存続が危うくなる」とというプレッシャーを与えら

れて、じっとしていられない。あるいは、自然災害や健康に

対する不安などから、予防的妄想に囚われて何かせずにおれ

ないというもの。

 どちらにしても、アタマの暴走です。

 脳の神経回路の中を過電流が激しく迷走している。

 頭蓋骨に穴を開けて、KURE の「5-56」か「接点復活

スプレー」でも吹き込んでやれば収まるかもしれない  

走電流を抑える効果があります  とも思うが、そういうわ

けにもいかない。


 というわけで、転んでもらいたい。

 転んで、運動系のパルスを一旦強制的に止めてやりたい。

 そして低い位置で止まった視点から、止むことなく動き続

けている “アタマの世界” を見て欲しい。それが実はどれだ

け「狂気」か・・・。


 すべての人間が、それぞれのストーリーを持ち出し、それ

を具体化しようと争い、動き続けているこの世界・・・。

 妄想の乱交パーティー。

 欲望のワールドカップ。

 幻想のオリンピック。

 そうとでも言うしかないようなことが混ざり合い、絡まり

合って、もはや誰もブレーキを踏めない・・・。だから、

「引っかけて転んでもらいましょう」と思う。

 転んで、「自分も『動き続ける病気』なんだ・・・」と意

識して欲しい。

 私はそれで「世界の平和を・・」などと大それたことを思

っているんじゃない。個人レベルでいいから、“しあわせの

リアリティ” とでもいうことを考えてもらいたいと思う。要

するに、思いやりですよ。


 転んでもらおう。

 転ばせてやろう。


 転びました?

 景色が変わるでしょ?

 何を見るかまで責任は持てませんがね。

 でも、転んだとき目の前にある石ころや地面が沈黙してい

るのは間違いありません。

 沈黙が語るものを聴きましょう・・・・・・・。




 (『ドーパミン依存性過動症』も『不安回避型行動症』  

  も、私が勝手に作った病名です。でも、たぶん精神

  医学の世界では、同じことを意味する病名があると

  思いますよ )



  

0 件のコメント:

コメントを投稿