2019年8月12日月曜日

アタマのおしゃべり



 今日も一日、朝目が覚めた時から今まで、私のアタマはあ

れやこれやとしゃべり続けている。今日は、今までのところ

特に酷い話は無かったけれど、まぁ毎日ご苦労さんなこと

だ。


 毎日々々、一日中アタマはしゃべりにしゃべり続けて、止

まることが無い。わたしたち人間はそれに付き合わされ続け

て疲れてしまうが、疲れるのは “アタマのおしゃべり” のせ

いではなくて、そのおしゃべりの “元ネタ” のせいだと思っ

ている。


 例えば、前のクルマが信号が変わったことに気付かずにな

かなか発車しない。イライラしてクラクションを鳴らすと、

ようやく前のクルマが動き出した。

 「ボーッとしてるんじゃねーよ!」という一言からあなた

のアタマがおしゃべりを始める。「だいたい、あのクルマ奴

は・・・・」と一分ほどグチグチ言うと、「そういえば、こ

の前スーパーの駐車場で隣に停めた奴も・・・・」と、おし

ゃべりはアタマの中に溢れてゆく・・・。あなたはどんどん

不愉快なことを思い出して、不機嫌になってゆくが、それは

「さっきのクルマのせいだ」と思う。


 確かに、さっきのクルマはなかなか動こうとしなかった。

それは事実です。が、それだけのことです。イライラするの

はあなたの勝手ですよね。同じシチュエーションでもイライ

ラしない人もいますし、違う日ならあなたもイライラしなか

ったかも知れません。これは、“出来事そのものは決まった

性格を持っていない” ということの一例です。


 この世界のあらゆる出来事は、すべてニュートラルなもの

です。どんな出来事も、それ自体は特定の性格を持たない。

わたしたちのアタマがそれぞれの出来事を性格付けるので

す。そうでなければ、同じ出来事に対しての人それぞれの感

じ方の違いや対応の違いを説明できない。


 わたしたちのそれぞれのアタマにはおしゃべりの癖があ

る。好むおしゃべりのパターンがそれぞれ違う。それぞれに

好みのパターンのおしゃべりをしては、泣いたり笑ったり怒

ったりする。


 不動産屋に案内された古い家の壁のシミを見て、「幽霊

だ」と言って怖がったり、「汚ねえなぁ。掃除しろよ」と文

句を言ったり、「事故物件じゃないのか?」と疑ったり、人

それぞれにアタマがしゃべることは違うけれど、目の前にあ

るのは単に “壁のシミ” 。


 わたしたちのアタマは、出来事に自分勝手に性格付け(意

味付け)をして、自分勝手に喜んだり怖がったりしているだ

けですが、その性格付けの多くはネガティブなものですか

ら、付き合っていると、たいてい不快になってしまいます。

 時には愉快になることもありますが、そもそも自分が勝手

な性格付けをするのですから、調子に乗り過ぎて馬鹿な失敗

をしたり、他の人の反感を買ってトラブルになったりして、

結局不快な思いをするというのもよくあることですね。


 誰の短歌だったか忘れたのですが、こういう歌がありま

す。


 《 火の車 誰も作り手なかれども 

           己が作りて 己が乗りゆく 》


 みんな自分で苦悩を作り出して、自分で苦しんでいるんで

すね。それぞれの業によって。


 わたしたちが出会う出来事は、ただ “出来事” です。

 何もかも、「ただ、そう在る」「ただ、そうなった」だけ

です。その「ただ」の事に、わたしたちはそれぞれの業に従

って、性格付けをし、意味付けをし、物語を作り、それに自

分で反応してさらに複雑にしてゆき、そして結局苦しむ。

 それなのに、アタマのおしゃべりは止まらない。

 何度も何度も、同じパターンで苦しんでも、アタマは同じ

ようなおしゃべりを続けて、わたしたちはその苦しみが “ア

タマのおしゃべり” のせいだとは気付けない。アタマを自分

だと思っているから。アタマが自分を欺き、裏切っていると

は思わないから。


 アタマは、あなたをしあわせにしようなんて思っていな

い。

 アタマは、アタマ自体の存続だけが目的です。そのために

は何でも利用する。あなたの命だって利用する。

 アタマは、あなたの中にあるけれどあなた自身ではない。



 この前、《 真実は沈黙している 》と書きましたが、こう

いうことも言えるでしょう。


 《 本当の自分は沈黙している 》



  

0 件のコメント:

コメントを投稿