2019年8月28日水曜日

夏休みが終わる・・・、死んでも死ねないよ。



 夏休みが終わる・・・。


 死にたい?


 死んでもいいけど、死んでも、死ねないよ。



 君を「死にたい・・」と思わせてる人がいるわけだけど、

その人は生きてるんだろうか?


 君を「死にたい・・」と思わせる人はね、実は生きていな

いんだ(どういうことかは、ここでは説明しないけどね)。

ほとんど死んでるんだ  ゾンビだね。だから、そういう人

と関わると、その人の「死」が君の方にまで流れ込んでく

る。だから「死にたく」なるんだよ。


 ゾンビに死の世界へ引き込まれないためには、逃げるしか

ない。

 だけど、君はもうすでにゾンビの持つ「死」の影響を受け

てしまっているので、「死ぬ」という一番確実に思われる逃

げ方を考えてしまう・・・。でもね、死んでも、死ねない

よ。


 死ぬと「全部無くなっちゃう」と思うだろうけど、自分か

ら死ぬのは「逃げるため」だから、“逃げたい自分” という

のは残るわけさ。どこに残るかというのは自分で考えて欲し

いんだけど、そういうのを《魂魄(こんぱく)この世にとど

まりて・・・》って言うんだよね。つまり “亡霊” になっち

ゃうんだ。ゾンビから逃げて亡霊になってたんじゃ、逃げた

甲斐がないね。


 もっと上手に逃げようよ。

 いや、上手に死のう。


 君の中には、二つの自分があるんだ。
 

 一つは「死にたい」と思ってる、アタマの中にいる自分。

 もう一つは “「死にたい」自分” を、後ろから見ている自

分。

 “「死にたい」自分” は死にたがっているんだから、死な

せてあげよう。そうすると、もう一人の自分が残る。もう一

人の自分は、「死にたい」とも「生きたい」ともなんとも思

っていない自分なんだ。からっぽで空気みたいなね。


 じゃぁ、どうやって “「死にたい」自分” を死なせるの

か?


 “後ろから見ている自分” の方に、心を寄せて行くように

する。

 “「死にたい」自分” の方に重なっている心を、“後ろから

見ている自分” の方へ動かすんだ。幽体離脱みたいな感じだ

ね。そんな風にイメージする。

 そうやって、心を “後ろから見ている自分” の方へ移すこ

とができたら、君の手で “「死にたい」自分” を死なせてあ

げよう。あたまの中でね。


 安楽死させてやってもいいし、そうしたければ銃で撃ち殺

してもいい。崖から突き落としてもいい(あたまの中で  

だよ)。そうすれば、ゾンビに追われてた自分は消える。

 残ったもう一人の自分からは、また違った自分が生まれ出

てくる。またゾンビに追われるかもしれないけど、その時は

また死なせてあげよう。


 誰もゾンビになりたくない。


 ゾンビから逃げるのは弱さじゃない。当たり前のことなん

だ。

 ただ、上手に逃げよう。亡霊にならないようにね。

 君の中には、いつでも「空っぽの自分」というのがいて、

困った時にはいつでもこっちにおいでと待っている。という

か、そっちが本当の自分なんだけどね。


 「空っぽ」は心細いと思うかもしれないけど、「空っぽ」

って、《自由》のことなんだよ。


 夏休みが終わる・・・。

 上手に逃げてね。






 

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