2019年9月4日水曜日

カネタタキが鳴いてるよ。




 窓の外でカネタタキが鳴いている。

 カネタタキというのは、いわゆる “秋の虫” です。「カン

カンカンカン」という感じで鳴くのですが、人によっては

「チンチンチンチン」とも聞こえるでしょう。いずれにせ

よ、「鐘を叩くようだというので」カネタタキという名が付

いたようです。

 1 cm ぐらいの小さな虫ですが、そのからだのサイズに見

合わず、結構大きな声で鳴きます。


 そのカネタタキの近くではコオロギも鳴いている。ツヅレ

サセコオロギかミツカドコオロギの声だと思うけれど、うろ

覚えで断定できない。まぁ、何にせよ「秋だなぁ」。


 虫の声に情緒的なものを感じるのは日本人特有らしい。他

の国の人はそういうことはまずないそうで、日本人以外では

フランスのプロバンス地方の人たちにそういう感覚が有ると

か聞く。


 日本人のこういう特性は、「漢字かな混じり文を使うこと

と関係しているらしい」という研究もあるそうだが、「じゃ

ぁプロバンスの人たちはどうなんだ?」ということになる。

単に文化的な理由じゃないだろうか。


 どんな風に説明をするかはともかく、そこに情緒を感じる

という事は、日本人は「虫も人間だ」と思っているのだろ

う。ゴキブリはゴキブリなんだろうけど・・・。


 ちなみにアメリカ人にとって、セミはゴキブリに等しいく

らいの嫌われ者らしい。13年ゼミだとか17年ゼミだとか

の「素数ゼミ」と呼ばれるセミが、定期的に大発生して嫌が

られるせいらしいが、「アメリカ人よりずっと昔からそこに

住んでいるのだから、仲良くしろよ」なんて思う(ゴキブリ

はもっと古いけど、グローバルに嫌われてる・・・。日本で

も・・・)。


 話がそれかけた。日本人にとっては「虫も人間」らしい。

 とはいえ、最近は虫を気持ち悪がる日本人の方が多いよう

だ。

 「なぜ気持ち悪いのか?」と訊いても、「とにかく気持ち

悪い」と言うだけだけれど、私は理由を知っている。虫が嫌

われるのは、それを「理解できない」からだ。それは「理解

しようとしない」からでもある。いや、そちらの方が正解だ

ろう。現代人は「虫という存在を理解しようとしない」か

ら、虫を気持ち悪いと感じている。
 

 人は「理解できないもの」を気持ち悪いと思う。

 そういうものが存在すると、自分の世界の統一感が乱され

るのでイヤなのだ。

 そして、「無視する」「排除する」「抹消する」という行

動にでる。理解できるものだけで自分の世界を構築しようと

する。で、いじめ・差別・パワハラなどが起きる。

 「虫も人間」ならば、「人間だって虫」という事になるの

はごく自然な流れですね。なので、「理解できない奴」は

「虫」扱いになるわけですが、それは何も日本に限ったこと

ではなくて、世界中で「理解できない奴(理解したくない

奴)は虫」という扱いをして、殺したりしているようなの

で、よその国の人たちが「虫も人間」だと思うようになるの

も、結構容易いのではなかろうか? ちょっと学習すれば、

日本人のように虫の声に情緒を感じるようになれるだろう。

良かったね。・・・・。

 

 自分に理解できないものが存在するのは当たり前です(

分のことも理解できないのだし)。むしろその方がはるかに

多い。

 そもそも「理解」というのは「つじつま合わせ」ですか

ら、各人各様の “ご都合主義” です。みんなが勝手に自分の

都合に合わせて世界を「理解」し、そこからはみ出すものや

自分の世界を乱すものを憎む。虫という存在は、まさにその

象徴でしょう。


 それにしても、「虫も人間」という感覚と「人間も

虫」  “虫けら” ということですが  という感覚の、な

んという違い。


 最近、人間のやっていることを見ていてつくづく思うこと

は、「仲良くしろよ・・・」ということばかり。結局のとこ

ろ、人間がすべきことは「まず、仲良くすること」に尽きる

と思う。問題があるから仲良くできないのじゃなくて、仲良

くしないから問題が生まれるんだ。


 世界中の人間が虫の声を愛でるようになるならば、人それ

ぞれお互いの生き方を愛でることもできるようになるような

気がする。

 仲良くしろよ。ホント。


 
 
 

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