2019年9月17日火曜日

見えない「デモ」



 私が子供だった頃(学校に行っていた頃)、自分の周りに

は不登校や引きこもりの子はいなかった。いたのかもしれな

いが、自分たちの意識にのぼる程の人数ではなかったのだろ

うし、「不登校」や「引きこもり」という言葉も無かった。

今と比べると、実際にかなり少なかったんだろうと思う。

 なぜ今、不登校や引きこもりがこんなに多いのかと言え

ば、社会の中に余裕(あそび)がないからだろうなぁ。誰で

もそう思ってるんじゃない?


 テキトー・そこそこ・それなりに・間に合えばい

い・・・。

 そういう言葉を吐くと非難される世の中になった・・・。

恐ろしいことだと思うんですけどね。


 わたしたちはほとんど機械のように、効率的に、正確に、

ミスなく、予定通りに、望まれる形で、話し、行動しなけれ

ば許してもらえない。しかし「望まれる形」を望んでいるの

はいったい誰か?


 誰もがお互いに、自分のエゴを社会の常識の中に忍ばせ

て、“常識の名のもと” に自分の都合の良いように他人をけ

ん制し、コントロールしようとする。

 A氏がB氏を、B氏がC氏を、C氏がA氏を・・・と、その

不愉快なゲームは果てしなく続いてゆく・・・。その結果、

とてもとても狭く凝り固まった “エゴの集合無意識” が、社

会に生きる者全員に無言の圧力を掛けてくる。

 「ここ(狭く凝り固まった世界)から、はみだすんじゃな

い!」


 でも、人間は皆出来損ないだ。誰にでも得手不得手があ

る。ちょっとした状況の変化で、「そこ」からはみ出しかけ

ると、途端に、全体に掛かっていた圧力がそこに集中する。

狭く凝り固まっているところなので、逃げ場が無い。もうは

み出すしかない。

 子供たちは不登校になり引きこもり、大人たちは鬱病やパ

ニック障害になる。さらに悪い因縁  私は不運な因縁と言

いたいが  にある者は、なんらかの依存症になる、犯罪を

犯す、自殺する、人を殺す・・・。


 私もあなたも、誰がいつその立場になるか分かったもんじ

ゃない。皆がそのことを知っているので、「自分はそうなり

たくない」と、他人に対するけん制を止めようとはしない

し、さらに強めたりもする。そのせめぎ合いは終わることが

無い。


 昔は昔でムチャクチャな事があったし、酷いこともあっ

た。でも、今のような息苦しさが無かったことは確かだ。こ

んな風になってきたのは二十五年ほど前からのような気がす

る。ケータイの普及、鬱病や不登校の増加、それにアレルギ

ーの増加なんかは同じような上昇グラフを描くんじゃないか

な。その要因は同じだと思うね。


 ケータイと言うのは、「携帯電話」じゃなくて実質的には

「個人電話」なのね。社会が常に個人を社会の中に囲い込む

か、個人が社会から一歩出た場所に別の人間関係を作るため

に使われる物です。

 鬱病や不登校は、さっきも書いたように社会らはみ出して

しまう(押し出されてしまう)から起こるのだし、アレルギ

ーは自分とは違う物を極端に排除しようとする反応です。今

の世の中は、個人が小さく小さく圧縮されて、皆、自分の中

に他者を受け入れる余裕が無い。その当然の結果として、精

神的にも肉体的にも社会的にも様々な問題が起こる。


 『引きこもって当たり前じゃない?』(2019/4)って前

に書いたけど、ホント、そんな風になるほうが人としてまと

もなんだと思うよ。それでなぐさめにもならないだろうけ

ど・・・。



 香港で、中国共産党の支配からなんとか距離を保とうと、

デモなんかが続いているけど、日本で、不登校や引きこもり

や鬱病やパニック障害やその他の在り方で、社会からはみ出

してる人がいっぱいいるのは、ある意味「デモ」なのかも知

れないね。

 「こんな世の中、おかしいだろ?」と。


 (香港では、「こんな世の中、おかしいだろ!」でしょう

  が、日本では「おかしいだろ?」になる。そのあたりは

  国民性の違いですね。それだけでもないけど)





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