2019年9月29日日曜日

「始まり」も「終わり」も無い



 『終わってますけど』という話をちょっと前に書いた。け

れど、この世界では何一つ終わったことがない。

 宇宙が生まれて以来(「宇宙が生まれる」という始まりが

あったとして)、世界は変化し続けている。物事が終わるの

は、人間のアタマの中だけでの話だ。わたしたちは自分の描

くストーリーにある区切りがつくとき、「終わった」と言

う。でも、この世界には「終わり」も無ければ「始まり」も

無い。


 人が物事に「始まり」と「終わり」を見るのは、世界の変

化を見て取り、そこに社会の約束事や自分なりのストーリー

を当てはめるからだが、実際には、世界では何も始まらず何

も終わらない。しかし、人間のアタマは「始まり」と「終わ

り」が無いことに耐えられないので、そこに「始まり」と

「終わり」を求めてしまう。


 なぜ人間のアタマが「始まり」と「終わり」が無いことに

耐えられないのかというと、“「始まり」と「終わり」の無

い事” には意味付けができないから。

 わたしたちのアタマ(思考)は物事を分割してはじめて、

それに意味付けすることができます。わたしたちは “「始ま

り」と「終わり」の無い事” を思考のまな板に載せることが

できません。“「始まり」と「終わり」の無い事” は扱えな

いのがわたしたちのアタマです。


 無限の過去から無限の未来へ、無限の広がりから無限の極

細まで、この宇宙は一切の区切りの無い、丸ごと一つの存在

として在る。

 「現在」は「過去」と「未来」なしには存在しえないし、

一点の空間はそれ以外のすべての空間無しには存在しえな

い。この宇宙は一切分割することができない。ただわたした

ちのアタマだけがそれを分割する。そうせざるを得ないの

で・・・。


 その “分割すること” がわたしたちを苦しめる・・・。

 しかし、それは同時に、この “丸ごと一つの存在” を感じ

るための前提でもある。


 自意識を持つことによって、分割することによって、この

宇宙から分離してしまったわたしたちは、それゆえに、世界

が “丸ごと一つの存在” であることと、自分もまた “それ” 

であることを意識することができる。


 人間は、 “分割すること” によって苦しむことになった代

わりに、その ゛分割する” という業から自由になった時に

は、《「過去と未来と無限の空間と “丸ごと一つ” である」

という意識を持つ 》という至福に至ることができる。それ

はきっと人間の特権なのだろう。(他の生き物や生き物以外

の物に聞いたことがないのでそう言うしかないし、もし他の

存在がすでに “そう” なら、人間をやって苦しんでいるのは

バカらしすぎるだろう・・・)


 国境・人種・民族・宗教・イデオロギー・階級・老若男

女・生と死・・・。

 あらゆる “区切り” という「お話し」から解き放たれた

時、人は初めて人として生まれた価値を知るのだろうね。


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