2019年9月30日月曜日

世の中を、たしなんでいると・・・



 《 世の中なんか、たしなむ程度にしておきなさい 》なん

てことを、私は書いたりしている。


 人として生きている限り、世の中と関わらずには生きられ

ない。

 けれども世の中とまともに関わると、その妄想の物語に引

き込まれて、人として本来持ちうるべき安らぎや喜びを見失

ってしまう。だから《 世の中なんか、たしなむ程度にして

おきなさい 》と、自戒を込めて私は言う。


 常に、そのように自戒しているのだが、世の中と関わって

いるとどうしてもメンドウな人間に関わってしまうことにな

   “メンドウな人間” とは自分のエゴの世界にどっぷり

と浸かって、そこからしか物事を見れない人間のことだ。

 そんな人間と関わってしまうと、もうホントにうんざりす

る。生きているのが嫌になってしまう。「もういい加減にし

てくれないか・・・」と思ってしまう。


 「これまでの人生で、そういう人間と嫌というほど関わっ

てきた、もういいよ・・・」

 そんな思いで天井を仰いだりする・・・。


 そういう “メンドウな人間” を、恨んだり憎んだり、バカ

にしたりする気持ちは起きない。その人にはその人の事情が

有って、そのような人間になっているのだからしょうがない

と思う。そういう面では自分も成長したとは思うが、なにぶ

ん生身の人間なので、メンドウなことに巻き込まれるのは酷

く疲れる。


 私はただ、「人と人は穏やかに仲良く助け合えばそれでい

い」と思っているだけだ(それが一番いいことだとも思って

いる)。ところが、人はエゴに振り回され、エゴにそそのか

されて、他人を否定し、他人を攻撃したりする。

 否定し、攻撃される人も不幸だが、その当人も決して幸せ

にはなれないのに、エゴの興奮状態に酔っているのでそれに

気付けない。自分と周りを地獄に引き込んでいるのだ

が・・・。


 私は地獄は嫌だ。

 穏やかでありたいし、周りの人の穏やかさも乱したくな

い。

 『和顔愛語』などという言葉も思い浮かぶが、その「和顔

愛語」に腹を立てる人間までいるのだからどうしようもな

い。ため息がでる・・・。

 「生きるのやめようかな・・・」などと思う。

 「どうせ死ぬんだし、他人の “エゴという狂気” に関わっ

てたって、世界が良くなるわけじゃなし・・・」

 お釈迦様だって「縁なき衆生は度し難し」  縁が無けれ

ば救えない  と言ったのだから、私に “メンドウな人間” 

を救える道理も無い。そもそも私の見立てが正しいという保

証もない。メンドウなのは私の方かもしれないんだか

ら・・・。

 「ああ・・・、生きているのが嫌になる。。。」


 生きてるのは、やっぱり「苦」だね。


 そこからなんとか自由になりたいと、こんなブログを書い

ている。

 

 意識の深い部分。「ライフサイド」には「苦」は浸透して

来ないけれど、世の中と関わる限り、自分の「エゴサイド」

を開くしかない。そこにはすぐに「苦」が侵入し、うごめく

・・・。世の中と関わると苦しい・・・。時には弱音を吐

かずにはいられなくなる・・・。


 「生きるのやめようかな・・・」
 

 「ライフサイド」に在る自分は絶対に幸福だから、いつ死

んだって構わない。でも、私の「死」は親しい人たちを苦し

める。だから苦しくても死ぬわけにはいかない・・・。


 ひょっとして、私は菩薩だろうか?


 菩薩ですよ。


 「自未得度、先度他」の思いを少しでも持っているのな

ら、誰でも菩薩です。

 こんなブログを読んでいるのだから、きっと、あなたも

ね。


 それにしても苦しいなぁ・・・。

 アタマは悪いなぁ・・・。






 

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