2020年5月5日火曜日

闘って、幸福になれるか? コロナ ㉑



 安倍総理は「緊急事態宣言」を五月いっぱいまで延長する

と発表した。

 「コロナウイルスに勝利するために、さらに我慢しろ」と

いうことだが、要するに「欲しがりません勝つまでは!」と

いうことだね。

 そして、家でじっとしていない人間や自粛要請に従わない

店などには、“正義の人”(安心安全原理主義者)から嫌がら

せが行われる。「こいつらは “非国民” だ!」と見做してい

るのだろう。


 「欲しがりません勝つまでは!」

 「非国民」


 このような言葉は、大東亜戦争中の日本国内のトレンドワ

ードだけど、それと同じ意味合いの事が今言われていて、そ

れと同じ心理に基づいた事をする人間が沢山いるようだ。


 「欲しがりません勝つまでは!」

 「非国民」


 こういう言葉は、大東亜戦争中に、国民が国のプロパガン

ダにも乗せられて、冷静さを失い、当時の社会の雰囲気に思

考停止したことの象徴のようになっているもので、国民、あ

るいは人間そのものの愚かさ・怖さをあらわすものだったは

ずだ。それが戦後日本の “国民的コンセンサス” ではなかっ

たのだろうか? 少なくとも、私はそう受け止めてきた。


 ところが、冒頭に書いたように、現在、同じ意味のことが

公式に述べられ、同じ意味の事が起こる。


 《 人は歴史から学ばないということを、私は歴史から学

んだ 》(『復興が、人を迷わせる』2019/3)と、前に書

いた事があるが、あれはやっぱり正解だな。


 「戦争と感染症は違う!」ということかもしれないが、

「何か」と闘い、その闘いに賛同しないものは「仲間ではな

い!」ということに違いは無い。戦時中と同じ。たった80

年程で、人間が変わるはずがないよね。2000年以上も変わ

って来なかったのだからね。まぁ、憲兵が捕まえに来ないだ

けマシではあるのだろう。(戦時中に大変な目に遭った人も

いるわけだから、茶化してはいけないんだけど、ここはご容

赦を)


 いったい「何」と闘っているのか?


 「ウイルス」?

 「病気」?

 「死」?


 ホントは、そのどれでもないのだろう。私はそう思う。


 いま、世界中で人々が闘っている相手は、「不安」でしょ

う。

 そして、太古の昔から現在に至るまで、人が闘って来た相

手は、要するに「不安」でしょう  「恐怖」と言ってもい

いですね。 


 人が持つ、未来に対する根源的「不安」を、その時々に

「何か」に投影して、それを「敵」だと思い込み、その

「敵」との闘いに勝利すれば、「不安」が消えると信じる。

 実際は、その “闘い” がさらに「不安」を増大させること

になるのだけれど、人はそれには気付かない。興奮しちゃっ

てるからね。


 そもそも、わたしたち人間の生きているこの世界には、

「不安」は存在しない。

 地球上のどこを探しても、宇宙の果てまで探索しても、

「不安」などというものは存在しない。「不安」が存在する

のは、わたしたち人間のアタマの中だけ。


 “「不安」を感じさせるもの” が存在すると思われるかも

しれない。けれど、どのようなものであれ、すべての人間が

「不安」を感じるものは無い。

 虫を見て悲鳴を上げる人もいれば、それを食べてしまう人

もいる。「不安」というものは、人それぞれの “気分” でし

かない。


 「死ぬのが怖い」と怯えている 90歳の病気のお婆さんも

いれば、「もういいから死なせて欲しい」と言う 90歳の病

気のお婆さんもいたりする。


 「不安」は、わたしたちのアタマの中にある。

 その「不安」に “闘い” を挑んでいるのは、わたしたちの

アタマだ。

 わたしたちは、「自分」と闘っているのだ。

 さらに言えば、「自分のイメージ」と闘っているのだ。

 あまりにも「ご苦労さん」なことではないか。


 そして、その「イメージ」を「社会」という巨大なスクリ

ーンに投影して、社会全体で「社会的不安」と闘う。その 

“闘い” が「社会的不安」をさらに増大させているのに、そ

のことは目に入らない・・・。

 そうして、人は幾度となく惨事を起こしてきた。歴史を振

り返れば誰にでも分かることだ。


 昔は、「疫神」や「妖怪」が “疫病” を起こすと考えられ

ていたが、現代はそれが「ウイルス」や「細菌」にとって代

わっただけで、そのストーリーの形は変わらない。

 「科学・医学が発達した」と言いながら、この大騒動なの

だ。人は進歩していない、何も賢くなっていないということ

を、図らずも露呈してしまっている。

 根本的に「不安」との対し方を考え直すべきだろう。



 人は生きている限り「不安」を無くせないだろう。けれ

ど、「不安」を「不安」のまま受け止めていれば、「不安」

は「不安」のまま、わたしたちの “気分” の中に在るだけな

のだ。しかし、「不安」と闘えば、その「不安」が「不幸」

へと姿を変えてしまう・・・。


 わたしたちを「不幸」にし、「地獄」を生み出すのは、

「ウイルス」でも「病気」でも「死」でもなく、さらには

「不安」でもなく、 “闘うこと” なのではないだろうか。


 安倍総理、見てる?







 

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