2021年1月4日月曜日

「空の意識」~ほんとうの安らぎ



 昨日、「人の観念の暴走が行き着く所まで行き着いた」と

いうようなことを書いたけれど、このブログに書いてあるこ

ともひどく観念的で、世の中を非難するようなことが言える

立場ではないかもしれない。ただ、言い逃れをすれば、世の

中の観念は外を向いているのに対し、私の観念は自分の中を

向いている。意識の中はどうなっているのかを知ろうとして

いる。それが「行き着く所まで行き着いた」ならば、観念は

「暴走」ではなく「停止」するはずだと思っている。


 意識の中は、どれだけ探っても空っぽだ。

 「思考」の中は有象無象が渦巻いているけれど、掴まえら

れる確かなものは無い。

 「感情」の中はいつでもさまざまに揺らいでいて、時に爆

発も起きるけれど、そこに何かの実態が有るわけでもない。

 「無意識」の中では、自分自身と自分を取り巻く世界から

のあらゆる圧力が溜まっているけれど、混沌とした精神エネ

ルギーの塊で、形を持たない。

 これら三つの意識を納めている広大な「空の意識」は、文

字通り「空」であって、そこには何もない。


 「空の意識」の中で、「思考」と「感情」と「無意識」と

が一体化して、空想の一人相撲を続けている。その苦しみ、

喜び、興奮、の泣き笑いを、「空の意識」が静かに観てい

る。


 観念が、「思考」から「感情」へ、「感情」から「無意

識」へ、そして「無意識」から「空の意識」へと行き着いた

時、「空の意識」の精神的真空の中で、観念は雲散霧消して

停止する。絶対不変で永遠普遍の「空の意識」に融合する。

 絶対不変。永遠普遍。つまり完全な安定がそこに在る。完

全な安らぎが・・・。


 「空の意識」の中で、精神的にも具体的にも、あらゆるも

のが現われては消え、生まれては滅んでゆく。その繰り返さ

れる創造と破壊の波の中に在りながら、同時にわたしたちは

「空の意識」に包まれている。わたしたちも「空の意識」そ

のものである。


 悲しみの波が来れば泣く。

 喜びの波が来れば笑う。
 

 その泣き笑いを繰り返しながらも、わたしたちの本質は超

然として安らいでいる「空の意識」なのだ。


 わたしたちは皆、本当は安らいでいるのだ。




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