2021年1月20日水曜日

社会はお好きですか?



 今は、生き辛い時代だとよく言われる。確かにそうだろ

う。けれど世界のどこでも、いつの時代でも、生き易いこと

はなかっただろう。ごく一部の人が、幸運にも生き易い人生

を送ったことはあるだろうが、それがしあわせとイコールだ

ったかどうかは分からない。

 いつの時代も生き辛いとは思うが、今の日本で言われる

「生き辛さ」というのは、例えば江戸時代や平安時代の「生

き辛さ」とは違うものだろう。まぁ、当時を経験していない

のでホントのところは分からないというのは当然だけど、た

ぶん違うだろう。


 今の「生き辛さ」は、 “圧縮されることの苦しさ” だと思

う。

 暮らしのすべての面で、効率とスピードと正確性が要求さ

れ、ある目的へと追い立てられ、押し込まれ、多くの人が人

間の限界レベルまで追い込まれている。

 以前、タイムリミットについて書いたことがあるけど、今

は「誰もが “見えない時間の壁” に押し付けられて息ができな

い」。そんな時代だと思う。


 仕事はもちろん、家事だってそう。勉強もそうだし、遊び

だってイベントやテーマパークのような「用意された遊び」

なら時間の制約がある。

 社会が明らかな圧力を及ぼしていることもあれば、“自分の

中の社会” が自分の顔をして、自分にプレッシャーをかけた

りもする。


 「がんばらないと・・・」


 それが、自分ではなくて、“自分の中の社会” の言葉だと気

付いている人は少ない。


 さまざまな脅しや美辞麗句を並べ、 空疎な報酬と腹黒い罰

をちらつかせて、人を “時間の壁” へと追い詰めて行くこの社

会。

 上手くやって押し潰される前に目的をクリアしても、す

ぐに次の壁が立ち現れて、心休まる暇は無い・・・。心の底

まで社会に侵食されてしまっている人は、そんな状況にマゾ

ヒスティックな喜びさえ感じたりするが、それが倒錯だとは

考えもしない。


 もう何千年も前からではあるけれど、現代に至っては、完

全に「人は社会の為にある」。

 けれど、本当は逆なはずだ。「社会は人の為にある」。そ

うじゃないですか?


 「人は、社会をしあわせにする為にある」

 「社会は、人をしあわせにする為にある」


 どちらがお好きですか?


 数千年の時を経て、社会はあまりにも複雑になり過ぎた。

 具体的にも、心理的にも、人は無数の事柄に取り囲まれ、

それらの事柄がそれぞれに呟き続ける。


 「ドウシテクレルノ? ワタシヲドウシテクレルノ? コノマ

マデイイノ? イツマデマタセルノ?」。


 社会は、人が協同することで生き易くなるために発生した

システムだったはずだろうと思うが、今は、人が生き辛くて

も、社会を維持することが目的になっている。

 そういう社会、あなたはお好きですか? 




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