2021年12月22日水曜日

死なせないにも程がある



 今日書こうと思っていることは、「いくらなんでも非常識

過ぎるだろう」というそしりを受けるかもしれない。けれ

ど、書く。そういう視点から、一度今の日本を見てみる必要

が有ると思うので。


 何の話かというと、今の医療は、むやみやたらに人の命を

救おうとし過ぎじゃないのかということ。そんなにまでして

命を救おうとしなければならないのか?

 以前、『死にたくないにも程がある』(2020/3)という

話を書いたけど、死なせないにも程があるだろう。


 先日、大阪で酷い放火事件が起きた。京アニの事件を思い

起こさせる酷い事件。

 一酸化炭素中毒で27名が心肺停止状態で救急搬送され、

すでに25名が亡くなっている。容疑者を含む2名が今も重

体なのだが、一酸化炭素中毒で心肺停止状態から、かりに延

命できたとしても、脳は深刻なダメージを受けているから、

脳死状態や植物状態になる可能性はとても高い。もう少し回

復したとしても、「閉じ込め症候群」のような状態になるか

もしれない。そんなこと、医療関係者なら分かっている。健

康を回復する確率はほとんど無いだろう。それでも命を救お

うとするのは、同調圧力に押されているだけだったり、現代

人(裕福な先進国の人間)の思い上がりだったりするのでは

ないのか?


 命とは何か?


 私の母親が86歳の時に脳梗塞で倒れ、救急搬送された。

薬が効いて意識が回復し、一応会話も成立する状態になっ

た。その時点で、担当医が私と兄に告げた。

 「首の血管に大きな血栓が残っています。これが動いて脳

に流れると今度は命に関わりますので、取り除く手術をした

方が良いと思います。リスクのある手術で、20%ぐらいの

確率で、意識が戻らず寝たきりになる可能性がありますが、

どうされますか?」

 私は耳を疑い、担当医の顔をしげしげと眺めた。

 86歳の人間が脳梗塞で倒れたが、一応意識は取り戻し、

会話もできているのに、命を守る為に植物状態になるかもし

れない手術を勧める・・・。「世の中狂ってるなぁ」と正直

思った。兄と私は、即座に手術を断った。


 命とは何か?


 発展途上国では、日本では助かる病気やケガで多くが亡く

なっているだろう。かたや日本では、途上国の平均寿命をは

るかに過ぎたガン患者の命を救う為に、「重粒子線で叩く」

とか「ウイルスを利用して治療する」とか「免疫細胞を活性

化させて身体にもどす」だとか、次々に新しい治療法が出て

くる。そして、それが当たり前のように喧伝される。が、そ

れは富める国の思い上がりではないのか? そういう見方があ

ることをアタマの隅にでも持っているか?


 命とは何か?


 生物としての命。

 個体としての命。

 文化としての命。

 思想としての命。

 命にもいろいろあるのが現代のようだ。

 そして二言目には「命を救え」というけれど、その言葉と

は裏腹に、現代の命の在り様はやせ細っているのではないだ

ろうか。なぜなら、死を忌み嫌い、死そのものを「悪」のよ

うに考えるのなら、「生」と「死」から成り立っている

〈命〉は、多くのものを失うからだ。


 「生」だけが〈命〉ではない。そのうえ、「生」を社会的

なマニュアルに照らして一律に扱うのなら、それぞれの

「生」は社会の “見出し” のようになってしまう。

 生きているのは、身体か心かアタマか魂か・・・。
 

 「生きること」を真剣に考えたことのない人間たちが、よ

ってたかって〈命〉の上っ面をいじりまわっている。


 「命を守れ!」


 その言葉は言外に「死を許すな!」と言っている。そして

その分、私の耳には空疎に響く。


 きちんと死ぬこと。

 穏当に死なせてあげること。


 「命を守る」ということには、そういうことも含まれてい

るはずだと私は思う。

 やはり、「生」だけが命じゃない。

 倫理や道徳で命は守れない。

 命を守れるのは、愛だろう。慈悲だろう。

 死に往くことを受け入れる、脆くて暖かい静かさだろう。


 私は言いたい。「本当に命を守ってくれよ」と。


 誰もうなずいてはくれないかもしれないけれど。







 

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