2021年12月5日日曜日

仏壇の中へ



  五年前に母親が亡くなったのがきっかけで、朝起きたら、

まず仏壇に手を合わせるのが習慣になっている。今朝も仏壇

に手を合わせ、仏壇の中に位牌が並んでいるのを見ていた

ら、改めて気が付いた。仏壇の中は「死の世界」なんだと。


 日々の暮らしが営まれている家の中に、仏壇という枠で区

切られた “死の世界の窓” がしつらえてある。仏壇は有るほう

が良いね。その方が “生” の奥行が増すように思う。


 〈 メメント・モリ(死を忘れるな)〉という言葉があるけ

ど、仏壇もそうだろう。仏壇は死者を弔うということより

も、ほんとうはそういう意味合いの深い装置だと思う。

 仏壇の中は「死の世界」で、この世の出来事とは関わりが

無い。時間も動きも無く、ただ空(くう)がある。


 仏壇に向かう時、そこに故人のストーリーを見るのではな

く、すでに空(くう)となっている故人に導かれて、自分も

空に身を置くようにするのがよい。それは故人と最も密接に

出会うことにもなるだろうから、それは何よりの供養ではな

いだろうか。

 思考や情緒の壁を通り抜けて、同じ「命」として共に在

る。

 いま生きているか死んでいるかの違いだけで、同じ「命」

なんだと・・・。


 仏壇というのは、小さなお寺だと考えればいいそうだ。

 「死の世界」

 「空」

 「仏の世界」

 この三つは同じもので、お寺や仏壇はそれを意識させる装

置なんだろうと思う。けれども、普通はそのようにガイドし

てくれる人はいない。本当はお坊さんがそういう役目を果た

すべきだろうと思うけどしてくれないので、誰もが、仏壇は

故人を思い起こす依り代で、お寺は仏にすがる窓口のように

思っているのだろう。それでもいいのだけど、そこにとどま

っていては、仏の救いの手にはなかなか触れられない。救い

を知ることができない。もったいない。


 位牌の奥へ、「死の世界」へ。

 仏像を突き抜けてその向こうへ、「仏の世界」へ。

 物語の世界から、「空」へ。
 

 仏壇の前で手を合わせて、「空」とひとつになる。

 意識の中で、自分の中の「空」と、仏壇の奥に広がってい

る「空」との壁を取り去る。

 さまざまな思考・物語がうごめいているその背後には、常

に無限で永遠の「空」が広がっていることを観る。


 そのような心の準備ができていれば、小さな仏壇でも、壮

麗な伽藍と違いはない。

 たとえ仏壇も無く、位牌一つ、ロウソク一つ、故人の写真

一つでも同じ。そこに、何を観るかがすべて・・・。


 仏壇の中は「死の世界」。

 そして完全におだやかな世界。


 ほんとうに仏壇に手を合わせることができたら、「ふ~~

っ・・」と安堵のため息が出ることだろう。


 明日の朝も、私は仏壇に手を合わす。なんとはなしに感謝

を抱きながら。



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