2017年1月16日月曜日

みんな、わけがわからない


  《 誰も わけがわかって生きているわけじゃない 》


 今、私はパソコンのキーボードに、この文を打ち込んでいる。

でも、なぜ今、私がこんなことをしているのか、私自身まったくそ

の理由は分からない毎日、朝目覚めて一日を過ごし、夜眠り

つく。その一日の間に、幾度か同じ思いがよぎる、「なぜ、今、

分はこんなことをしているのだろう?」 そして、こうも思う「自

分が今ここに居ることは確かなようだが・・・、ほんとに確かなん

だろうか・・・」



 荘子に「胡蝶の夢」という話がある。

 ある日、自分が蝶になる夢を見て目覚めた荘子はこう思う。

「今、こうして自分が荘子だと思っているけれども、もしかしたら、

これは蝶がわたしの夢を見ているのかもしれないぞ」



 自分はなぜ、今、ここに、こうしているのだろう?

 誰もその理由は知らない。気付いた時には生きていて、そのま

ま生き続けている。

 良いことも悪いことも、正しいことも間違ったことも、考えること

はすべて後知恵でしかなく、本当は何の確証もないまま、なにか

を自分の拠り所にして生きている。



 “われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われ

われは何処へ行くのか”



 有名なゴーギャンの作品のタイトルですが、本当に「何処から

来て、何処へ行くのだろう?」 出発地は知らないし、目的地も

からないまま、どこかへ行き、何かをする。

 この世で迷子のまま、その底なしの寄る辺なさから逃れようと

して、親しげな「正しさ」にすがりつく。

 社会の中で、何か意義のあることをしたり、金や物を手に入れ

て、その度に満足を得るのは確かだが、ホントにそれでいいの?

そうやって、ひと時お茶を濁してるだけじゃないの?



 ヤなこと言ってますよね。

 そんなに、メンドウなこと考えなくてもよさそうなもんです。でも

考えてしまう。思ってしまう。心の隅のちょっとした引っ掛かりを

どうしても無視できないんですよ。欲張りなんですね。

 永遠に失うことのない、絶対の幸せが欲しいんでしょう

ね。私は。



 “永遠に失うことのない、絶対の幸せ”って何でしょう?

 わかりません。

 知りません。  

 でも、今はこう思っています。

 わからない。知らない。っていうことを、徹底的に肯定して、わ

からないまま、知らないまま、そのままで居続けることで、言葉

ではなく、***でわかると。

 ( ***の中に入る言葉が無いんです。“心”と言っても

“身体”と言ってもしっくり来ない。“命”という言葉が近い気

もするけど、でも何かちがう・・・。たぶん言葉に出来ないことでし

ょう )

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