2017年1月23日月曜日

しあわせになるのに、理由はいらない


  《 しあわせになるのに理由はいらない 》


 

 人は、結局 「しあわせでいたい」 というのが望みでしょう。

 何が〝しあわせ″かって言うと、まぁ人それぞれですよね。

 お金がたくさん欲しい。恋愛がうまくいって欲しい。結婚した

い。子供が欲しい。健康でいたい。仕事などで成果を出したい。

などなど。いずれにしても、自分の望みが叶うことですけど、そ

れぞれの現実的な望みは違っても、その望みが叶って得られる

のは幸福感であって、それぞれの望みは、幸福を感じさせるス

イッチを入れる鍵ですね。 鍵そのものが幸福ではない。


 だったら、幸福を感じさせる鍵が、手に入れ易ければ、手に入

れ易い程、幸福感も得やすいわけです。


 誰の言葉か忘れましたが、「その快楽に最も金のかからない

人が、最も富んでいる」 というのがあります。

 この場合は、「金」を指標にして語っているわけですが、「金」は

労力に対する対価のひとつですから、「金」ではなく「労力」と言

った方が良いですね。

 「その快楽に最も労力のかからない人が、最も富んでいる」

 (ここで、「富んでいる」というのは、当然「しあわせ」ということ

です)


 「最も労力のかからない」って、どういう状況でしょう?

 明白です。

 「ただ生きている」 ということですね。

 ただし、意識が無ければ、しあわせも感じられませんから、意

識があることが最低条件です。


 「ただ生きている」 それだけでいい。たとえ、あと一時間後に

死ぬという状態にあったとしても、しあわせでいることが出来る。

 その可能性はある。

 いや、無ければ困るのです。


 なぜなら、人は皆死ぬのですから、今まさに死が訪れようとし

ている時に、しあわせの可能性が無く、誰もが皆、死の怖れの

中で人生を終えるのでは困るんです。しあわせに人生を終える

ことが出来るべきです。だから、死が訪れる時も、しあわせでい

る可能性がなくては困ります。


 だって、嫌でしょ? 死を怖れながら、不幸を感じながら人生を

終えるなんて。

 そして、死に臨む時でも、しあわせでいることが出来るのなら、

人生のどんな局面でも、しあわせでいることは出来るはずです

よね。

 しあわせになっちゃいましょう。


 「お金が儲かったので、しあわせ」

 「彼氏が出来たので、しあわせ」

 「健康なので、しあわせ」

 「金メダルを獲ったので、しあわせ」

 普通、わたしたちがしあわせを感じる時は、「~なので」という

理由があります。ありますけど、考えてみて下さい。理由は必要

でしょうか?

 理由もなくしあわせ、というのは可能でしょうか?

 理由もなくしあわせ、というのはダメなんでしょうか?

 理由もなくしあわせは可能です。私はそう思っています。

 「せっかく生まれて来たんだから、しあわせになりたい!」そう

思いますよね?

 だったら、しあわせになっちゃえばいいんですよ!

 今すぐ。今ここで、しあわせになっちゃったらいいんです。




 「そんなこと言ったって、どうやってしあわせになったらいいん

だよ」




 「どうやって」じゃないんです。

 「どうやって」というのは、“やり方・条件”という理由ってこと

ですけど、すでに書いた様に、理由は要りません。

 しあわせになったらいいんです。

 最低条件は意識があるということですから、今、これを読んで

いるのなら、間違いなく意識があるわけです。 だったら OK!

 今すぐ、しあわせになりましょう。


 今、あなたはここに居ます。

 それ以上、何が要りますか? 

 本当に、何か要るのでしょうか?

 今、あなたがここに生きている。それでいいと思いませんか?




 たとえば、あなたは今、とても辛い仕事をしている真っ最中。

辛くて、辛くて、泣き出しそうです。泣いているかもしれない。でも

今は生きている。生きているのなら、OK。


 たとえば、あなたは今、末期のガンで、あと数日も保たないの

は明らかな状態。ベッドに伏したまま、スマホでこれを見ている、

見ている今、あなたは生きている。それでいいとは思えません


か?

 わたしたちは、今 ここに無い、想像の未来や、すでに存在し

ない過去と引き較べて、今を台無しにするのが得意です。

 日々、暮らしているのですから、未来の為に準備したり、過去

から学んだりすることは必要です。でも、わたしたちは未来や過

去を想う時は、今を忘れています。忘れているだけならまだしも

すぐに今を否定します。「これじゃダメだ」と。

 今、今を生きているのに、今はたいてい無視されてしまう。

 今が可哀相ですよね。


 一度、今 ここに引き籠ってみませんか?

 一分でも、三十秒でもいい。今 ここに 徹底的に引き籠ってみ

るんです、過去も未来も夢も想い出も、何もかも締め出して、引

き籠ってみるんです。 そこに、何があるか?




 わたしたちは、「アタマ」の条件付けに、骨の髄まで侵されてい

るんです。だから、どんな事にも理由を見つけなければ気が済

まない。条件が揃わなくては、物事を正当化し、承認することが

出来ない。でも、条件が充分に揃うことはなかなか無い。

 理由を探しても、「正しいとは、そういうことにしておけば気が

済む」ということでしかありませんから、心の底から確証を持て

ません。すぐに、正しさを否定する要素が出てきます。わたした

ちは、いつもいつも揺れ動いています。

  でも、「今、生きている」ということだけは、否定しようが無い


事実です(夢でなければ)。こんなに確かなことは他にありませ


ん。 これだけが確かです。

 だったら、その唯一確かなものの上に立って、その確かさを骨

の髄まで確かめてみましょう。

 そして、こう決めましょう。

 


 「わたしは、しあわせである」



 誰が何と言おうと、「アタマ」が何をつぶやこうと、そんなこと放


っておけばいい。


 今まで、勘違いさせられてきたんです。


 今すぐ、しあわせになっちゃえばいいんですよ。


 自分でそう思えないと言うなら、私が言ってあげますよ。



 「あなたは、今 しあわせです。


  これからも、ずっと しあわせです。


  死ぬまで、死んでからも しあわせです」







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