2019年2月10日日曜日

ホントに、「子供は大事」だと思ってるのか?


 そのことを知った人に、やりきれない思いを抱かせな

がら子供が死ぬ。


 殺されたり、自殺したり。いったいそれは何なんだろう

か?

 なぜそうなるのだろうか?
 

 生まれて来た限り、人は必ず死ぬ。

 いくつで死んだら OKで、いくつで死んだら NGだという

ものではないだろうけど、子供が死ぬのは、まして自殺した

り殺されたりするのはやりきれないね。やっぱり何かおかし

いね。
 

 私が今こうして生きているということは、子供の頃に死な

なかったということで、それゆえに、子供が死ぬことに理不

尽さを感じるのかも知れない。「そうじゃないだろ」と。


 子供は弱い。

 それゆえに、社会からの圧力が強まると、そのしわ寄せは

子供に対して大きく表れる。あらゆる面で。


 「子供は大事」「子供は宝」なんて公式見解を口にしなが

ら、社会は本当に子供を大事に思っているのか?


 今の社会にとって、子供は “お荷物” だろう。だって、子

供は「生産性が無い」(©杉田水脈)のだから。“子供は将

来社会に役立てる為の道具” か “言う事を聞くペット” のよ

うなものかもしれない。

 満足な教育を受けられなかった貧しい国で、女性がちゃん

とした教育を受けられるようになり、知的水準が上がると、

出生率が下がると聞いた事がある。人はものを考えるように

なると  観念的になると  あまり子供を欲しがらなくな

るのかもしれない。種の生存のためのロジックが変わるのか

もしれないね。


 養老孟司先生が昔から言われているけど、「子供は自然

で、都市化した社会に生きる現代人は、自然を嫌い、子供を

疎ましく思う。コントロールしづらいからだ」と。

 青山の児相関連施設の計画にも反対する人間がいるし、幼

稚園の建設計画が持ち上がれば反対されるし、その嫌がられ

方はゴミ焼却場火葬場に匹敵する(!)。この社会は、ホ

ントに「子供は大事」なのか?


 日本が都市化し、人々のコントロール願望が強まり、「人

生は自分のコントロールし易いものであるべきだ」という意

識が普通になり、インフルエンザも麻疹もノロウイルスも制

御し、アンチエイジングに必死になり、仕事も勉強も遊びも

効率化が第一義で、「人生は人生設計通りに行くものだろ

う」という人間が増えると、そりゃぁ、面倒な子供という存

在は疎まれるだろう。少子化が進んでもしょうがないね。で

も、生まれて来た子が虐待されたり、自殺に追い込まれるの

は酷い話じゃないか。


 「現代日本人は、本当は子供を大事だと思っていないんじ

ゃないんですか?本気で、正直に考えてみて下さい」と、公

に問い掛けてみたらどうだと思うね。問題提起の意味でね。

 そうして、大人がみんな、自分の胸に手を当てて考えてみ

るといい。お為ごかしの公式見解はもういい。


 それで、結果が「いいや。みんな、子供が大事だと本気で

思っている」というのであればそれでいい。その想いは一層

強くなるだろうから。逆に「『子供が大事』なんていうの

は、建前だったような気がする。ホントは自分が邪魔されず

に好きに生きたいのが本音だな」という深層心理が表沙汰に

なれば、それはそれで子供への接し方が意識的で冷静さを持

ったものになるだろうと思うしね・・・。


 この世には、「自分の考えが及ばない事が有るのだ」とい

うことを無視して、「すべてが考えの及ぶ範囲のことである

べきだ」という前提に立って生きようとする人間がとても増

えている。ところが、そう考えている当の本人の身体も感情

も考えも「考えの及ぶ範囲」では収まらない。

 「なぜだ!」「おかしいだろ!」と、自分に対して苛立

ち、他者に対しても苛立ち、その苛立ちが、更に自分たちの

考えの範囲に収まらず、コントロールし難い “子供” に集約

されて行く・・・。それが、今の日本の社会なんじゃない

か・・・。まぁ、今に始まった事でもないだろうけど。


 今の社会は、ある意味で、一度解体してみなきゃいけない

んじゃないんだろうかと思う 。 

 昔っから、社会というものは必要悪だっただろうと思うけ

ど、ちょっと酷過ぎるんじゃない? 今は?


 「社会」という “人間の約束事” に、人間が押し潰される

なんて本末転倒もいいところだよ。

 押し潰すにしても、それは「社会」を作って、それをやっ

ている大人の間でやるべきでしょう。そうしたら「社会」の

不具合が減って少し良くなって行くかもしれないし(さらに

悪くなる可能性も大きいけどね)・・・。



 私の家の前は、小学校の通学路ですよ。

 子供たちは、ほんとにカワイイですよ(中には憎たらしい

のもいるけどね。ご愛嬌だけど)。

 「社会」がおかしな価値感を刷り込まなければ、彼らは今

のわたしたちより、ずっとマトモな人間になれるはずだと思

う。完璧には成れはしないけれどね。
 

 人生は自分の都合に合わせて進んでくれないし、世界は自

分の都合に合わせて動いてくれないけれど。それは、誰か

せいでは無い 。


 その当たり前の事を、もう一度誰もが見据えて、それを受

け入れて、それを肝に銘じたら・・・、子供たちが惨い死に

方をすることは、ずっと少なくなるんじゃないのかなぁ。


 (と、こんな事を書いていても、しばらくしたら私は今回

の事件の事を忘れ、次に同じような事が起るまで思い出さな

いのだろう。それは人が落ち着いて暮らして行くための〈能

力〉の一つだろうから・・・。なんか、嫌なことだけど

ね・・・)



 

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