2019年2月6日水曜日

寝てなさい!


 さっき、廊下の柱に足の小指をぶつけてヘタりこんでいた

のだが、せっかく痛い思いをしたのだから、これをネタにブ

ログを一本書いてやろうと思った。転んでもタダでは起きな

いのだ。

 しかし、転んだらそのまま寝ているという手もあるだろ

う。起きるのはエネルギーが要る。『三年寝太郎』の話もあ

るではないか。

 《 世の中に 寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起

きて働く 》

 すばらしい!

 そうありたいものです。


 今の世の中を眺めると、「みんな、もっと寝てなさい!」

と思う。動き過ぎですよ。

 動き回って何をしてるかといえば、ただの暇つぶしです。


 『起きて働く「浮世の馬鹿」』が、どう馬鹿なのかという

と、単にほんとうの “楽” を知らないというだけにとどまら

ず、資源を怖ろしいほどムダ使いして、ゴミの山を作って、

競争し合って否定し合っている。ちょっと寝てなさいよ!寝

なさいよ!


 やり過ぎ。大袈裟。自己満足。誇大妄想。

 一週間ほど前に「人工流れ星」のニュースを見たけど、

「バチ当たり」としか思わなかった。(何のバチが当たるの

かは知らないけど、必ずバチが当たるだろう。その方が私的

に楽しい!)


 誰も彼もが、寝る間も惜しんで働いたり遊んだりしてい

る。

 《浮世の馬鹿は起きて働く》の「働く」という言葉は、仕

事だけを指しているのではなくて、現代では遊びも含まれて

いると思う。なぜなら、遊ぶことまでが “自己実現” や “社

会的評価” の為だと見えるからだ。

 「遊ぶ」というのは、自分が「楽しい」からのはずだが、

スポーツをしたりバンドをやったりダンスをしたりインスタ

をやったりなどというのは、多分に人の目を意識している。

「遊び」としては不純で、ある意味「仕事」だろう。

 さっき「自己満足」と書いたけれど、「自己満足」という

のは “自分で満足している” という個人としての充足感では

なくて、“他人の評価を得られると思い込んで満足している”

という意味合いです。現代は(昔もある程度はそうだったろ

うが)「自己満足」さえ、他人経由です。


 寝てなさいよ。

 寝ていようよ。もう少し。
 

 この前もブログで書いたと思うけれど、社会というのは、

人間に動いてもらわなければ困るのです。だから、人間が生

まれてくると、徹底的に目的志向を刷り込んで、「動かない

と不安を感じる」様にしてしまう。『行動病』とでも呼べる

ような状態にしてしまう。遊んでるつもりが、世の中の食い

物にされてるだけだったりする。


 『三年寝太郎』という昔ばなしが存在するというのは、人

が昔から『行動病』であって、その事を揶揄する気持ちもあ

ったという事を物語っている。今も昔も人間は変わらない。

相変わらずなんでしょう。(『三年寝太郎』は、「やったら

出来る!凄い!」みたいなオチがあったりして、やらしかっ

たりもするんだけど・・・)

 とはいえ、現代の “やり過ぎ” はとてつもなく「やり過

ぎ」ですよ。

 環境問題だけを言っているのではなくて、鬱病やらパニッ

ク障害やらがよくある事になっているのは、「動かなけれ

ば・・・」という社会のプレッシャーが怖ろしく大きくなっ

ているからだと思うね。


 ・・・十時半か・・・。もう、ブログなんか止めて、風呂

に入って寝よう。


 このブログも「自己満足」で「誇大妄想」で「やり過ぎ」

で「大袈裟」なのかもしれない。『語るに落ちる』という見

本なのかも知れない。でも、「足の小指をぶつけて」こんな

ことやってるんだから、やっぱり「遊び」なんでしょうよ。


 ・・・寝よう。

 おやすみなさい。




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