2020年8月23日日曜日

手に負えない



 今日も一日、また、止むにやまれず、わけも分からず生き

る。

 なんということも無いが、なんということかとも思ったり

する。


 ホントに、私は毎日、自分が生きているということが不思

議でたまらない。さらに言えば、“生きているという不可思

議” がたまらない。まったくもてあましている。生きている

ということは、とてもじゃないが私の手に負えるものではな

い。手に負えないので、お手上げになる。

 “この存在” が止むにやまれず勝手に生きているので、ビ

ビったりソワソワしながらも、止むにやまれずついて行く。

なぜなら、そこで覚える不可思議の悲喜こもごもの後ろに、

不思議で微妙な喜びを感じるから。


 止むにやまれず、

 わけも分からず、

 なんということも無く、

 もてあまし、手に負えないお手上げ状態のまま・・・、ほ

とんどあきらめている。


 「放てば手に満てり」

 「生をあきらめ」

 「なにごともなきぞ」


 これらは、禅の逸話の中などに出てくる言葉。

 そして「なむあみだぶつ」、つまり降参。



 別に私は禅僧のように修行をしてなにかを究めたというこ

とではない。自分の無力さ、出来損ない加減が徹底的に身に

染みたので、こうなってしまったようだ。


 前に《完全な勝利と、完全な敗北は、人を同じところに連

れて行く》なんてことも書いた。私の場合は「完全な敗北」

の方だけれど、首尾よく「完全」に敗北しているわけではな

い。紙一重のところでぐずぐずしているので、単なる「敗北

者」ということになる。

 笑うしかないね。笑ってしまおう。

 でも、笑ってしまえるなら、それでいい。それで十分だろ

う。

 「生きる」ということは結局そういうことだろう。

 そういうことにしておく。



 
 

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