2024年3月17日日曜日

間違ったことを言うな!



 以前、YouTubeの医療についての動画を観たときに、「自

分は、内科と整形外科は役立たずで信用してない」というこ

とをコメント欄に書いたら、「確かじゃないことを言う

な!」と批判する返信が来た。私が物事をどう捉えて何を言

おうと、それは一つの考えに過ぎない。「そういう考えもあ

るのだな」と受け止めておけばいいだけのはなし。誰か個人

を攻撃しているわけでもないのだから・・・。「鬱陶しいな

ぁ」と思った🙄


 世の中では、正しいことを言うことを誰もが求められ、正

しいことを言わなければならないと誰もが思っている。特に

インターネットやテレビのようなメディアで発言する時は、

最大限の注意が要求される。しかし、いったい誰が「正しい

こと」を言えるだろう? 不可能なことを求めたり、やろうと

してはいけない。世の中で普遍的に正しいことなんて、「人

は必ず死ぬ」とかごくごくわずかしか存在しないし、そうい

うのは「正しい」というより「当たり前」なんだから、そん

なこと改めて言うことにほとんど意味はない。

 世の中の求める「正しいこと」というのは、「大抵の人が

不快に思わないこと」でしかない。ならば、そんなこともわ

ざわざ言う価値はない。大抵の人にとって当たり前で、そん

なことを言っても何も変わらないんだから。


 誰も本当に「正しいこと」は知らないし、世の中の求める

「正しいこと」なんてものは言う価値もないのに、誰もが

「正しいことを言わなくちゃ・・」みたいに思ってる・・。

アホかいな。


 私は “ひろゆき” には興味がないので「それって、あなたの

感想でしょ?」という言葉がどういう文脈で使われるのか知

らないけど、人が言うことはすべて「その人の感想」でしか

ないと思っている。


 釈迦やイエスやソクラテスが言ったことも、名だたる歴史

上の指導者や哲学者が言ったことも、物理学者や数学者が提

示した法則や理論も、すべて「その人の感想」です。

 その言葉に数十億の人がうなずき、その法則や理論でロケ

ットを飛ばせたりしても、「役に立つ」=「正しい」という

とでもなくて、つまるところ「その人の感想」です。その

はそういう風に世界を見た。その人はそういう風に世界を

理解したということです。正しいかどうかという問題じゃな

い。


 他の人と考えが違ってたってしようがない。それで自分が

納得できているならそれでいい。自分にとってそれが良い状

況をもたらすなら、他人がどう捉えようと関係ない。

 とはいうものの、考えが違うために実際的な利害関係が生

じてしまうこともある。そういう場合は当然すり合わせが必

要だけど、その「実際的な利害関係」というものが、本当に

実際的かどうかは結構怪しい。突き詰めれば「どっちでもい

い」という方が多いはず。まぁ、そんなこと突き詰めようと

する人なんて滅多にいないけどね。そんなことを突き詰めよ

うとすること自体が「おかしい!」と非難されるだろうから

ね。


 誰も「正しいこと」なんて言えない。それは同時に誰も

「間違ったこと」は言ってないということでもある。

 自分の気に入らないことは「間違ってる」と言い。自分の

気に入ることは「正しい」というだけなのが世の中一般で

す。

 たとえば、先に書いた「人は誰でも死ぬ」というようなこ

とは当然の事実であって、いわば「正しい」と言ってもいい

ことですが、そういうことを言うと嫌がって怒り出す人がい

る。当然のことなのに受け入れようとしない。「そんなこと

言うこと自体がおかしい!」と思うのでしょう。そういうの

に付き合わされると本当に疲れるので、本当のこともむやみ

に口にできない。世の中って、つまんないですね。


 もはや毎度おなじみですが《「正しい」とは、そういうこ

とにしておけば気が済むということ 》です。

 自分は「正しいこと」も「間違ったこと」も言えない。な

んと気楽なことでしょうか。

 そして、他の人も「正しいこと」も「間違ったこと」も言

えない。そう思えば慈悲さえ湧いてきます。


 「それって、あなたには大切なことなんですね」

 “ひろゆき” がそんな風に言ってあげれば、また違う展開が

あるのでしょうけどね(もしかしてそういうことも言う人な

の? ホント、知らないんですよ)



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