2024年3月23日土曜日

作用と反作用



 「作用と反作用」。中学の理科の時間で習うと思う。いま

なら小学校でだろうか? よく分からないけど、誰でも習うだ

ろう。「物に力を加えれば、その同じ分だけ力が戻って来

る」というやつ。 これはなにも物理法則だけの話ではなく

て、心理法則でもあるだろう。


 誰かに「バカ」と言ったら「バカ」と言い返されるとかい

うことではなくて、アタマの中で誰かを「バカ」と思った

ら、同時に自分自身をも「バカ」と査定している。


 自分の外へ向けての「攻撃」「否定」は、同時に自分自身

を「攻撃」し「否定」することになる。

 自分の外へ向けての「親切」「受容」は、同時に自分自身

に「親切」であり、自分を受け入れることになる。表面的に

は気付かなくても。


 「他人に厳しく、自分に優しい」みたいな人は結構いて、

そういう人は、他人を否定しながら自分は肯定しているよう

に見えるし、当人もそのつもりでいる。

 けれども、わたしたちのアタマは意外と律儀なもので、他

人を評価する基準を、無意識のうちに自分にも適応してい

る。アタマはダブルスタンダードが苦手です(サイコパス気

質の人間はそのかぎりではないでしょうが)。
 

 “他人に厳しく、自分に優しい人” の場合は、他人を強く否

定するので、自分に対しても強い否定的な思いが無意識下で

生まれます。その為、それを打ち消そうと自分を肯定的に評

価するのですが、やはり無意識下で自分の欺瞞に気付いてい

るために不快になり、その不快感ゆえに他人に攻撃的にな

り、また他者を強く否定するという悪循環に陥ります。そう

いう人は気の毒なもので、基本的にいつも不機嫌です。心か

ら笑うようなことはまずないでしょうね。今度、そういう人

の笑い方を観察してみてください。決して「ワッハッハ!」

と爽快な笑い方はしないでしょう。


 “他人にあまり厳しくない人” の場合は、自分にもあまり厳

しくありませんし、“他人に優しい人” は、自分にも優しい。

表面的にはそう見えないとしてもね。


 世の中というのは、基本的にエゴのせめぎ合いの場ですか

ら、“他人に厳しく” が主流です(表向きはそうでもなくて

も、裏では陰口が絶えなかったりね)。その結果、お互いに

不機嫌をぶつけ合い、そのたびに自分自身の不機嫌を増幅

し、さらに不機嫌をまき散らすということがそこら中で展開

します。救いがありません。

 わたしはできるだけそういうことには巻き込まれずに、そ

ういうのは無しで行きたい。誰でもそうではないですか?


 柔らかく働きかければ柔らかく返ってくる。きつく働きか

ければきつく帰ってくる。外に働きかけたことは自分に返っ

てくる。自分の中に働きかけたことは、跳ね返って外にも働

く・・・。すべきことはあきらかです。


 そして、外から自分に加えられる力も相手に跳ね返る。

 柔らかな力を受け取れば、それは相手に柔らかく戻り、相

手もその人自身の柔らかさを受け取る。それはその人を喜ば

せる。一方、きつい力(攻撃)は受け取らない方がいい。そ

れは相手に跳ね返り、その人自身をさらに不快にする。自分

の力が自分も苦しめているとは気付かずに。そして相手はさ

らにエスカレートする。では、どうすれば受け取らないよう

にできるか? エゴ(自分)を立てなければいい。自分など無

いものとして関わればいい。そうすれば相手からの力は働き

かける対象を失い、跳ね返ることなく虚空に消えてゆく。

 その時、その相手は「攻撃」や「否定」の無意味さを無意

識に感じることになる。同時に、自分に跳ね返るはずであっ

た否定感情を受け取らなくて済む。その経験は、その人を少

しだけ変えるだろう。自分自身と周りの世界に対して、少し

ばかりの肯定感を持つだろう。


 自分がエゴを立てないことが周りも変える。実際の関りも

が少しずつほぐれてゆく。

 世の中のいたるところで跳ね返り、乱れ飛んで傷付け合う

否定のエネルギーが、自分のところを素通りして減衰して消

えてゆく。世の中に対するこんなに大きな貢献はない。もち

ろん、自分に対しても。



 


 

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