2024年3月24日日曜日

「理想」が怖い



 人間関係について「周りの人が自分の価値観や理想に合わ

なくて悩んでる」って話をちょっと目にして、すぐに「周り

の人のことだけじゃなく、みんな〈 自分の価値観や理想に合

わない “自分”〉にも悩んでるでしょ?」と思った。


 自分が「自分の価値観や理想」に縛られてて気分が悪いも

んだから、周りの人にもその基準を適用して「コイツら何

だ!😮‍💨」って、あたってしまうだけですよ、ほとんどの人間

関係の悩みなんて。

 「自分の価値観や理想」ってそんなに良いものなんでしょ

うか? それが自分に何かしてくれたでしょうか?

 大切にすべきは「価値観や理想」ではなくて、周りの人そ

のものと、自分自身そのものでしょう。


 「理想」っていうのは厄介なものですよ。よっぽど気を付

けていないと人を害する。自分も他人も。

 「理想」って、当然ながらアタマが考えたものだから、気

を付けないとすぐに現実を無視するし、現実を「理想」の為

の踏み台にしてしまう。アタマが悪さをする原因のトップな

んじゃないかと思う。


 アタマは、妄想を生かす為に現実を踏み台にする。とても

酷いことをやっているんだけど、なにぶんモノを考えるのは

アタマの領分なので、酷さは隠蔽されてしまう。そして美辞

麗句で妄想を飾り、現実は重箱の隅を突くように貶める。人

間関係より、自分の中でアタマとの関係を考える方がいい。


 「理想」って自己差別ですよ。今の自分、いまの在り方を

貶めてるんだから。

 ときどき書くけれど、人間にはごく自然な向上心ってもの

がある。「理想」とか「目標」なんかをアタマが持たなくて

も、健全に生きるために無意識に向上しようとするものです

よ。そうして少しずつ何かが自分に備わってゆくことが「成

長」ですよ。本当は「理想」なんていらない。むしろ、邪魔

です。ときとして「死の病」になるほど怖いものです。


 植物を育てているとよく分かるけれど、同じ植物でも少し

環境が違うだけで育ち方が大きく違う。

 日当たり、風通し、ほんのわずかな土の違いで、一方は

10個の花を咲かせて、もう一方は3つしか花を咲かせられ

なかったりするようなことはよくある。それは、それぞれに

その場所で自分のできる最善であって、もしも入れ替えたら

10個の花を咲かせた方も2~3個の花しか咲かせられない

だろう。

 仮に花が自分の理想を持っていて、3つの花しか咲かせら

れない場所で10個の花を咲かせようとしたら、「二兎を追

う者は一兎をも得ず」というように、一つの花も咲かせられ

ないだろうし、もしかしたら枯れてしまうかもしれない

 花は「理想」を持たないだろう。その場所で自分なりの最

善を尽くすだけだろう。


 「よくぞまぁこんなところで」という思いがけない場所で

花に出会うことがある。そういうのを見て「強い!」とか言

う人たちがいるけれど(「ど根性〇〇」なんて言う)、その

花は特に頑張ってるわけではない。「自分が自分をしてい

る」だけだ。私はそういう花に出会うと、「強い」とかでは

なくて「カッコイイ」と感じる。「自分が自分をしている」

その姿が愛おしく思う。

 彼らも、理想を言えば環境の良いところで花をいっぱい咲

かせたいかもしれない。けれどそんなことを考えても始まら

ない。そこで最善を尽くして花を咲かせる。無理せず、自分

としての花を。



どこから来たのか知らないが、セイヨウカラシナ(西洋辛子菜)がこんなところで咲いている。周りには見当たらない
お互い、生きてますね

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