2024年3月3日日曜日

「分からない」という分かり方



 橋本治さんの本に『「分からない」という方法』というの

があって昔読んだのだけど、内容を全然憶えていない。たぶ

ん、今回書こうとしている話とは違っていたと思うけど、ど

うだか分からない。かぶってたらゴメンナンサイということ

で・・・。


 わたしたちは「分かろう」とする。いついかなる時も「分

かろう」としている。それは生きて行くためであり、しあわ

せでありたいという希望ゆえでもあるだろう。けれど、「分

かろう」とすることが、多くの悩みを生む。「分かろう」と

することが生きることを台無しにしたりする。


 「分かろう」とすると、そこには必ず「分からない」が立

ち現れてしまう。それは原理的に避けられないので、「分か

ろう」とするわたしたちは、常に「分からない」という壁に

アタマをぶつけることになる。


 わたしたちはこの世界に「分からないこと」が沢山あると

思っているけれど、「分からない」から「分かろう」とする

のではなくて、「分かろう」とすることで「分からない」が

発生するのです。

 例えば私の場合、道端に生えている見慣れない雑草を見て

「これ何かな?」と思ったりするけれど、普通の人は道端の

雑草の名前なんて意識しないので、「(名前が)分からな

い」という事態は発生しない・・・、というようなことです

ね。自分が「分からないこと」を生み出しているのです。


 そこで、「分からない」という壁にアタマをぶつけないた

めに「分からないままにしてみる」というアプローチを提案

したい。

 もちろん、お金の計算をしたりする時に「分からないまま

にしてみる」というアプローチをしてはいけない。そういう

世の中の些事については分かって下さい。私が提案したいの

は、「人生」だとか「この世界」だとか「死」だとかいうよ

うな、「分かりにくい」ものや「分かりそうにない」ものに

対してのことです。


 「分かりにくい」

 「分かりそうにない」

 だったら「分からない」ままにする。

 だったら「分かろうとしない」。

 それでどうなるかというと、〈分かる〉。


 とはいっても、この〈分かる〉は普通の「分かる」ではな

い。物事を理知的に「分けて」一応の安心を得るのではなく

て、「分けない」ことで、そのことをまるごと感覚的・直感

的に「知る」ことです。


 わたしたちが「分かろう」としている時は、自分が分かり

たいように「分かろう」としているのです。無意識に想定内

に収めようとするのです。結果、「分かったつもり」になる

だけです。言葉の組み換えや、思考のお遊びに終わります。

そのために「分からないこと」が意識のどこかに残り続け

て、場合によれば腐臭を放つようなことが起こります。


 なので「分かろうとしない」こと。「分かったつもり」に

しないこと。

 なげやりにではなく、「分かろうとしない」ことに積極的

であり、「分からないまま」で受け入れること。それは、も

っとも謙虚な姿勢でもあります。


 世界が分からなくて当たり前です。わたしたちは世界から

生み出された「世界より低次の存在」ですからね。

 そもそも「分かる」というのは、「自分が納得できるスト

ーリーを採用する」ということでしかありません。本当は何

も分からないままに生きているのです。それは何も分からな

くても生きていられるということでもあります。


 何も分らなくても生きていられるのだから、分かろうとす

る必要は無い。それなのになぜ「分かろう」とするのか?ア

タマの悪癖です。病気です。「分からない・・・」と勝手に

不安がって、悩んで、都合の良い解釈をして、物事を面倒に

します。放っておいたらいいのに・・・。


 わたしたちが分かろうとすべきなのは、具体的に自分の身

に起こった出来事に対してだけでしょう。それ以外は分らな

くても生きている。心臓は勝手に動いている。(遊びとして

「分かろうとする」のは楽しいですけどね)


 〈 下手(へた)の考え休むに似たり 〉


 わたしたちのアタマはそもそも下手(へた)なのです。出

来が悪いということもありますが、身体よりも下手(した

て)の存在でもあります。自然・地球・宇宙に比べれば、さ

らにさらに下手(したて)なのです。なのにアタマは「自分

が世界の中心」のように思ってしまう。思い上がりに気付か

ずに余計なことをする。少しばかりの成功体験でうぬぼれ

て、エキスパートの忠告を聞かずに事故を起こす者のよう

に・・・。


 分からない。

 分らなくていい。

 「分かっておくべきこと」でも、分からないときはしよう

がないのだから、分からないままでいい。そんなこと身体は

気にしていない。(人間の以外の)世界は気にしていない。

気絶したって、さしあたり生きているんだから。


 「分からなくてもいいんだ」

 そう分かっておくことは良いことだと思いますね。


 


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