2017年12月18日月曜日

「不安」にお引取り願いたいのだが・・


 不安です。

 「何が?」と聞かれそうですが、ありとあらゆるものが不

安です。というか、“不安材料” です。

 不安ですねぇ。

 と言っても、私の事ではありません。

 人間一般についての事です。

 もちろん、私も不安です。前にも書きましたが、私は心配

性なので、よく不安になってしまいます。(そんな人間がよ

くもまぁ、こんなブログで分ったような事を書いてるもんで

す)



 人が不安を感じる時は、どういう時か?

 「嫌な目に合うのではないか?」

 「嫌な目に合わされるのではないか?」

 と、思ってしまう時ですね。



 「嫌な目に合うのではないか?」ということで、言い切れ

るんですが、「嫌な目に合わされるのではないか?」とあえ

て別に言うのは、人が不安に感じる事のかなりの部分に人間

が関わっているからです。

 人が関わらない不安というのは、災害や病気やケガという

事に限られていて、それ以外は、すべて人との関わりの中で

の不安です。さらに言えば、災害や病気やケガに対する不安

にも、人が大きく関わって来ます。

 地震や水害で家が壊れると、家のローンや修理費など経済

的な問題が持ち上がって来ますが、そこには当然人が関わっ

て来ます。

 病気やケガをしても、大きな病気やケガをしたら治療費が

心配になりますし、「自分が働けなくなったら、家族や従業

員が困る」という様に、自分と関わる人の事を考えて辛い思

いをしたりもします。

 結局のところ、人が関わらない不安というものは、それほ

ど多くはありません。

 不安を生み出す理由の大部分は、人との関わりです。

 そして、不安を生み出す原因は、自分のエゴと、自分に関

わる人間のエゴです。

 自分のエゴと、自分以外の人間のエゴは当然ながら別の物

です。離れています。この、“エゴとエゴの距離” が不安を

生み出します。


 熱愛中の恋人同士は、少し離れるだけで不安になります。

 そばに居たはずの子供の姿が見えなくなったら、親はすぐ

不安を覚えます。

 「恐い上司に明日も合わなければならない」と思うと不安

になるのは、自分と上司の考え方に距離がある(違う)から

です。

 お金が無くて不安になるのは、必要なだけのお金を持って

る自分  こうあってほしい自分  と実際の自分の間に距

離があるからです。



 こういった “距離” を無くすことがことが出来れば、不安

も消える事になります。でも、どうしたもんでしょう?



 恋人や家族の間の不安を無くすには、手を握ったり、肩を

寄せたりと、実際に身体をふれあって距離をなくすことで、

不安を解消出来る場合もあります。けれど、恐い上司の手を

握ったりすれば、状況はさらに悪化しそうですね。

 お金が無いのも、お金を稼ぐ以外どうにもなりません。ス

ーパーのレジ係のお姉さんの手を握っても、タダにはしてく

れません。警察に通報されてしまうでしょう。

 さて、どうしましょう?

 どうやって、“距離” を無くしましょう?



 “距離” があるのは、自分と相手が別の人間だからです

が、仲の良い家族の間では不安は生じません。家族といえど

も、自分とは別の人間だという事には変わりはないのに、何

故でしょう?

 わたしたちは、普通、家族のことを自分のアイディンティ

ティの構成要素として、自我の中に組み込んでいます。その

為、自分と家族の間に距離が出来ないんですね。だから不安

を感じない。

 だったら、他人のことも自分のアイディンティティの中に

組み込んでしまえば、距離が無くなり、不安を覚える事もな

くなるはずです。実際、友達や恋人や信頼できる仕事仲間な

どに対しては、その様にしているのです。

 ですから、それ以外の人に対しても同じように接すればい

いわけです。メデタシ、メデタシ・・・・というわけにはい

きませんね。



 友達・恋人・仲間であっても、家族であっても、そこに 

“距離” が生まれてしまう事があります。誰しも経験するこ

とです。

 自分と “同じ” だったはずの人との間に、考えの違いが露

呈した時。相手が自分の想定とは違う行動をとった時、その

人は自分から分離してしまい、自分とは別の人になります。



 近い人間との間でも、その様な事がよく起こるのに、それ

以外の人間を自分のアイディンティティの構成要素に組み込

むことは、非常に困難でしょう。では、自分が相手のアイデ

ィンティティに組み込まれるのは?



 許せないでしょうね。

 「なんで自分が相手の一部にならなければいけない?それ

も家族でもない人間の為に!」

 そう思うのが普通ですが、意外や意外、このパターンは結

構起こります。カルト集団の指導者と信望者の関係がそれに

当たります。宗教的集団や主君と家来、あるイデオロギーに

心酔した結社のリーダーとメンバーなどですね。

 こういったの人間関係の中では、リーダーや仲間や主義の

為に命さえ投げ出したりしますが、これらの人間関係は疑似

的な家族関係に見えます。親子の間の様に、距離がありませ

ん。

 ここでは、相手の為に自分を放棄している様にも見えます

が、心理的には、自分より強く大きい(と思える)相手の自

我に、自分を組み込むことで、自分が強く大きくなった様な

気になるんですね。大型トラックを運転するドライバーの様

なものでしょうか。

 なんにせよ、その相手がバカだったら、いずれは共倒れに

なります  バカを見抜けないということは、本人もバカと

いうことですが。



 やはり、自分を相手のアイディンティティに組み込むのは

辞めた方が無難でしょう。

 では、どうやって人との距離をなくすか?


 自分が無くなればいいのだと思います。

 無くなって、空気の様な存在になってしまえばいい。空気

の様になって、世界に遍満してしまえば、あらゆる物との間

に距離は無くなってしまう。

 距離は無くなるけれども、人の中に組み込まれてしまう事

は無い。

 人との距離が無くなることで不安は消え、自分が無くなる

ことで不安を感じる主体も無い。

 人との距離が無くなることと、自分が無くなることとは同

時に起きる。そして、一切の不安が消える。


 「また、それか・・・」

 そう、またこれです。

 同じ事ばっかり書いてます。

 自分のエゴが、不安の根源です。

 自分のエゴが、苦しみのもとです。

 アタマ(エゴ)が悪さをします。



 それしかないのです。

 自分のエゴを無くすという方針で行くしかない。

 それ以外の方法は世界征服しかないのです。(極端なこと

を言ってるように思うでしょうが、グローバル企業のCEOな

んかが考えている事は、結局そういうことだと思いますよ)

 誰も、他人の為に自分のエゴを無くそうなんて考えてはく

れませんからね。自分のエゴを何とかするしかないのです。

 自分の為には、自分のエゴを無くすことが、唯一の安らぎ

への道です。(きっと、カルト教団の教祖なんかは、こんな

事を言うのでしょう・・・。大丈夫か?・・・。)

 ・・・ちょっとアブナイ感じもしますが、やっぱりそうな

んですよ。

 わたしたちに最も悪さをするのは、やっぱり “自分のアタ

マ” なんです。

 他人とだけではなく、過去や現在の自分と、想像上の未来

の自分を較べて、その違いを嘆いたりします。その思考が距

離を生み出します。

 あれこれと考えて、さまざまな事を問題視して、アタマは

わたしたちに余計な事をささやきます。そのささやきに惑わ

されて、わたしたちは自分の周りの世界からはぐれてしま

う。

 このアタマを黙らすことが出来れば、わたしたちは周りの

人々や世界との  心理的な  距離をなくし、不安から解

放されるのです。



 では、どうするのか?

 「アタマはロクな事をしない」と、徹底的に自分に言い聞

かせ、常にそれを意識しておくこと。

 「また、アタマがバカなこと言い出した」

 「また、アタマがろくでもないこと考えてる」

 そんな風に、“アタマの傍観者” になって、アタマと距離

を置く。

 アタマが出しゃばって来るたびに、

 「主役はオマエじゃないよ」

 と、たしなめる。
 

 人との距離を縮め、世界を穏やかなものにするには、自分

のアタマと距離を置くしかない。

 少なくとも、自分の世界は、それで穏やかになる。

 個人に出来るのは、そこまでですね。




 

0 件のコメント:

コメントを投稿