2017年12月30日土曜日

しゃぼん玉飛んだ・・


 シャボン玉 とんだ 

 屋根まで とんだ

  屋根まで とんで   

 こわれて 消えた


 シャボン玉 消えた

 飛ばずに  消えた

 生まれて  すぐに

 こわれれて 消えた


 風 風  吹くな

 シャボン玉 飛ばそ


 あまりにも有名な、唱歌『シャボン玉』の詞です。

 作者の野口雨情が、生まれて間もなく死んだ自分の子供を

想って書いたと言われます。


 私も子供の頃から好きな歌でしたが、大人になり、雨情の

悲痛な想いが詞に込められていると聞き、ショックを受けま

した。

 「雨情の子供の事ではない」とか、「たんにシャボン玉遊

びの情景を描いただけだ」とか諸説あるようですが、詞を読

むと、子供の儚すぎる一生を歌ったものだと、受けとめてお

いたらいい様に思います。


 ほんとに、人生はシャボン玉のようなものだと思います。

 屋根まで飛ぶにしろ、空まで飛ぶにしろ、「壊れて消え

る」さだめです。

 屋根だとか、他のシャボン玉だとか、他に較べるものがあ

ると、「高く飛んだ」とか「永く飛んだ」とか、「すぐに消

えた」とか思えるのでしょうが、一個のシャボン玉それ自身

からすれば、「生まれて、消えた」だけのことで、距離とか

時間の長さは関係ないことです。


 シャボン玉の、うすいうすい儚い膜は、わたしたちの命

(肉体としての身体)でもあるでしょうし、それぞれのエゴ

でもあるでしょう。

 この世界に生み出されて、ひととき漂いますが、その実態

はとても頼りなく、儚い、薄っぺらな被膜です。その中に

〈自分〉という実態があるわけではなく、中身はまわりと同

じ空気です。


 仏教では、〈山川草木 悉皆成仏〉「山も川も草も木も 悉

(あまね)く 、皆  仏(ほとけ)成り」と言い。この世界の

全てが〈仏〉だと言います。



 日本人は、死ぬと〈仏〉になるわけですが、シャボン玉が

はじけて、まわりの空気とひとつになるのと同じように、人

も死んで、身体とエゴが無くなると、まわりとひとつになっ

て〈仏〉になるわけですが、これを “生きている内にやろ

う” というのが〈仏教〉ですね。


 身体は、自然の要素を集めて作られていて、この世界の一

部のまま、世界の理(ことわり)のままに在りますが、わた

したちのエゴは世界の理から外れた在り方を求めたりする。

その為、世界との間に齟齬を生み出し、苦しむ事になる。

 わたしたちは〈自分〉というものを、あたかも “虹色に輝

くシャボン玉” の様に考えていて、その脆く頼りないものを

必死で守ろうとします。

 ですが、それは薄っぺらで儚い、すぐに消えてしまうもの

であり、それ故に「いつ壊れるか分からない」という不安を

持ち続けなければなりません。

 「そんなものは、さっさと壊してしまいなさい」というの

が、お釈迦さまの教えということです。

 「壊してしまって、世界に溶け込みなさい。溶け込んで、

世界とひとつになりなさい。エゴに区切られた小さな小さな

〈自分〉でいることが、苦しみを生み出すのです」と。


 〈 風 風 吹くな 〉と願っても、風は吹くのです。

 〈 生まれてすぐに 壊れて消えた 〉としても、風の吹く

中で、脆く頼りないエゴを守ろうと、苦しみ続ける日々が長

く続くことと、どちらが良いかは分からないのです。いや、

仏教からすると、どちらも同じなのです。


 虹色に輝いて見えるシャボン玉。

 でも、その虹色は光の当たり具合でまったく違うものにな

ります。

 平和な社会で「反戦」を唱える者は “虹色” ですが、戦争

中に「反戦」を唱える者は、“真っ黒” でしょう。

 世の中の状況しだいで、その色は変わります。

 世の中に翻弄され、拭いきれない不安を抱きつつ、“「虹

色であるはずの」自分のエゴ” を守り続ける・・・。

 「そんな、苦しい、自己満足でしかないこと、止めなさい

な」と、お釈迦さまは言う。


 野口雨情自身は、どこまで飛んだのでしょうか?

 二階の屋根まででしょうか?

 私は、どこまで飛ぶのでしょうか?

 誰も彼も、虹色に見えたり、暗く翳ったり。

 みんな、大して飛べずに、壊れて消えます。
 

 シャボン玉は、日々止めどなく生まれて来ます・・・。

 シャボン玉は、日々止めどなく消えて行きます・・・。
 

 シャボン玉の、中と外は同じです。

 シャボン玉の、薄い膜だけが、自己を主張し、異質なまま

であり続けようと望みます。けれど、それは必ず消えます。

 そもそも、この世界に相容れない異質なものであるからこ

そ、脆く儚いのですから。

 

 子供の口先のストローから生まれ出る、無数のシャボン

玉・・・・。それは、素直に美しく、愛らしい。

 それを作りだし、喜ぶ子供の姿も愛らしい。

 その情景は、この世で見られる最も美しいものの一つかも

知れない。

 虹色に輝くシャボン玉に魅せられ、無心にストローに息を

吹き込む子供の姿に、エゴの不安も強硬さも無い。


 私はシャボン玉が好きです。

 『シャボン玉』という歌も好きです。

 シャボン玉に魅せられる人も好きです。

 普段のわたしたちとは違い、シャボン玉に喜び、シャボン

玉を無心に作る時のわたしたちからは、エゴは消えていま

す。

 〈生まれてすぐに消える儚いシャボン玉〉を愛しく思う

時、わたしたちのエゴというシャボン玉ははじけて消えま

す・・・。


 風 風 吹くな  シャボン玉とばそ・・・・・。


  





 

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