2018年1月1日月曜日

「あけましておめでとう」と言ってみる・・・。


 2018年1月1日になりました。

 「あけましておめでとうございます」

 と、毎年口にするけれど、ただの挨拶に過ぎない。

 私が生まれるよりずっと昔なら、人の寿命は今よりもずっ

と短く、成人できずに死んでしまう子供も多く、一年間生き

延びることは、寿ぐべきことだという了解があっただろう。

 でも現在、一年間生き延びることは当たり前だと思って、

日本人は暮らしている。(深刻な病気などに罹っていなけれ

ばですが)


 私は中学生ぐらいの頃から、「あけましておめでとう」と

いう言葉を聞いても、「べつに、めでたくもない」と思うよ

うになりました。まぁ、そんな中高生は多いんじゃないかな

と思います。

 でも、大人になるにつれて、「正月は、そう言うものだ」

という風に自分の中で消化して、「あけましておめでとう」

と言うことに、特に違和感を持つ様な事は無くなるのだろう

と思います。ところが私は、未だに「あけましておめでと

う」に違和感を持っています。「あけましておめでとう」だ

けではなく、「おめでとう」という言葉全般に違和感を持っ

てます。

 「どういうつもりで『おめでとう』って言ってるの」と。


 メンドクサイ奴でしょう。


 『おめでとう』って、何でしょう?


 そんなこと、いちいち掘り下げる人間はあまりいません。

 そんなメンドウなことに、いちいち引っかかってはいられ

ません。他にする事がいろいろあるでしょう。

 けれど私は、こういう事に引っかかってしまいます。

 どういうわけか、〈上っ面の言葉〉・〈実の無い言葉〉に

敏感で、そういう言葉を聞いたり・使ったりするとかなり不

愉快になります。

 聞き流せば済む話だし、みんなそうやって問題なく生きて

いる(ようです)。なのに、私は引っかかってしまいま

す・・・。


 〈上っ面の言葉〉を使うというのは、嘘をつくよりも悪質

な感じがするのです。


 人が嘘をつくときは、かなり神経を使っているものです。

自分の身の安全が掛かっていますから。(「本人からすれ

ば」ですが)

 しかし、〈上っ面の言葉〉を使う時は、何も深く考えてい

ません。「そう言うものだ」から、“そう言う” だけです。

こにあるのは “無関心” です。“心が・関わって・無い” の

す。


 「おめでとう」という言葉などは、特に心を込めて使われ

るべき言葉でしょう。

 正月なんぞは、べつにいいのですが、結婚式だとか出産だ

とかいう時に、誰もが「おめでとう」と口にします。でも、

大抵は意味も分からず、それゆえに心もこもらず、「そう言

うものだ」から言っているだけ・・。

 そういう〈上っ面の言葉〉が人間関係の中にあふれ、積み

重なり、〈言葉〉全体をどんどん軽いものにしてゆく・・。

 百万言を労しても、何の想いも伝わらない。

 そんな人間関係の中で生きて行くことになってしまうでし

ょう。 嘘の方が、まだ本気なだけマシだと思います。


 『おめでとう』という言葉は、「愛(め)でとう御座いま

す」という言葉が短くなったものでしょう。

 「(この度の事を)“愛でたい” と思います」という、自

身の立場の表明です。

 “愛でる” というのは、「花を愛でる」とか言う時の “愛

でる” ですが、「愛を持って、見守る」とか「愛を持って、

関わる」ということだと考えていいと思います。

 『おめでとう』というのは、「あなたや、あなたの関わる

この出来事に、わたしは愛を持って関わって行きますよ」と

いう、かなり “ガチ” な意思表示なんです。そのはずなんで

す。


 昔、侍が主君の祝い事に際して、「この度の事、誠に目出

とう存じ上げまする」などと言う時は、後でその事に関わる

問題でも起きれば、下手をすれば〈切腹〉〈お家断絶〉なん

て事さえ起こりかねません。それぐらい言葉が重かったりし

たわけです。

 何も、「〈切腹〉覚悟で、『おめでとう』と言え」という

事ではないですよ。現代は〈言葉〉があまりにも軽すぎると

思うだけです  昔がどうだったか、ホントは知りません

が。

 政治家の失言ではないですが、〈言葉の重み〉に対する感

覚というものが本当に希薄です。その一方では、たかが〈言

葉〉でしかないものを楯に取って、他人を攻撃する人間がい

る。(自分は当たり障りのない事しか言わない 、“腰抜け” 

とかですが・・)


 〈心をこめて言葉を使う〉ということは、あまりにクソ真

面目に、バカ正直にすることでもない。けれど、気分の良い

ものだと思うんです。

 本当に大事な人や、仲の良い友達の祝い事に、「今度の事

を、わたしは愛を持って見守っていきますよ」という思いを

込めて、その意識を持って、『おめでとう!』と言えば、そ

こには言葉を越えた “想い” が通い合うことは間違いありま

せん。


 「現代は、一年生き延びることは当たり前」と書きました

が、本当のところ、私もあなたもいつ死ぬか分かったもんじ

ゃありません。死なないまでも、深い悲しみや言葉に出来な

い様な苦しみに、「死んだ方がマシだ」と思うような出来事

が起こるかも知れません。実際に起こったかも知れません。

大変だったかも知れません。けれど、この一年は何とか乗り

切れました。


 去年は、大変でしたか?

 去年は、楽勝でしたか?

 起った事がわたしたちの人生です。

 まだ起きていないことは、わたしたちの人生ではありませ

ん。


 何が起こるか? 

 次の自分の一年を、自分で “愛でて” みましょうよ。

 次の一年を迎える自分に、自分から「(この一年を)めで

とうございます」と言葉をかけてみましょうよ。
 

 せっかくのお正月です。

 会った事の無いあなたに、

 私から、


 『あけましておめでとうございます』


 良い一年であるように祈ります。心をこめて。





 

0 件のコメント:

コメントを投稿