2018年1月16日火曜日

〈義務〉は誰の為?


 誰にでも “嫌な言葉” ってあると思うんですけど、私が嫌

いな言葉のひとつに、〈義務〉という言葉があります。嫌な

言葉だと思いません? 〈義務〉って。



 そりゃぁね、仕事をしてたら〈義務〉ってありますけど

ね、真剣に仕事に取り組んでる人には、〈義務〉なんて無意

味でしょ? 〈義務〉を課せられなくても、真剣にやってい

る人なら〈するべきこと〉は、放っておいてもやりますよ。

 〈義務〉を課さなければならないっていう事は、その人が

イヤイヤ仕事をしてるって事ですよ。それか、その仕事自体

が、誰もヤル気にならないような仕事って事ですよ。



 イヤイヤ仕事をしているような人間に〈義務〉を課したっ

て、どうせテキトーにしかやらないし、誰もヤル気にならな

いような仕事なら、それはムダな仕事ですよ。

 そして、仕事以外の事に課せられる〈義務〉は、醜悪で

す。



 税金や年金、法律とかモラルとかマナーとか。

 日本で、税金や年金を自分から進んで納めたい人っていな

いですよね? いるとしたらかなり変わった人で、普通はイ

ヤイヤ納めているもんです。

 法律やモラルやマナーがしっかりしている社会は、一見

「良い社会」ですが、法律やモラルやマナーが存在している

ということは、その社会は自然には治まらない社会だという

ことです(すべての社会がそうですが 😄)。守らなければ

制裁を受けたり、批判されたりするので守っているだけの事

です。



 〈義務〉があるという事は、放っておいたらその社会は成

立しないという事です。社会が人間の “本来性” から外れた

所に成立しているので、〈義務〉を課して、無理矢理成立さ

せているんですね。

 〔人間の “本来性” から外れた所に成立している社会〕を

維持する為に〈義務〉を課す・・・。イヤらしいじゃありま

せんか。設計ミスの家が倒れない様に、住人に支えさせてい

るようなものです。



 悪口を言っていますが、そんなこと言ったってどうにもな

りませんね。〈義務〉を課さなければ、社会は成立しませ

ん。そもそも人間は “出来損ない” ですから、その人間が集

まって作る〈社会〉も、当然 “出来損ない” です。自然に治

まるわけなどない。



 私が言いたいのは、「出来損ないの社会だろ? 当然のよ

うな顔をして、義務を課すんじゃないよ」ということです。

 「せめて、申し訳なさそうに〈義務〉を課せ」と言いたい

ですね。


 社会を成立させる為には、〈義務〉は果たさなければ仕方

がない。けれど「果たせない」からといって、当然の様に個

人を断罪してもいいのか?


 「誰もが無理なく、自分から〈義務〉  と言われるよう

なもの  を果たせる社会を作ってみろよ!」という見方だ

ってあるからです。(不可能だと知って、言ってます)

 社会も個人も、“出来損ない” のくせに「エラソー」なの

が不快です。いや、問題です。



 「脱税」がイケナイ。「飲酒運転」がイケナイ。「賭博」

がイケナイ。「覚せい剤」がイケナイ・・・。

 “イケナイ” のは分かる。では、何故その “イケナイ” こと

が、無くならないのか?

 人間の “本来性” を無視するから、そんな事が起きるんじ

ゃないのか?



 そもそも、税金というものに問題があるから「脱税」する

んじゃないのか?

 そもそも、「自動車」を手軽にし過ぎてるんじゃないの

か?

 そもそも、「賭博」や「覚せい剤」に手を出したくなるよ

うな社会の方が、“クズ” なんじゃないのか?



 出来の悪い社会を「不問」にしといて、なんでもかんでも

個人の側に責任を負わせるんじゃない!



 《 すべての〈社会〉は、〈社会〉の為にある

   残念ながら、〈人〉の為の〈社会〉は幻想である 》



 こういう事を言うと、「なんでもかんでも “世の中” のせ

いにする奴がいるんだよなぁ」という声が、何処からともな

く聞こえて来たりするもんですが、そういう声って、たまた

ま自分が、問題を起こさずにいられる境遇だから言えるだけ

です。ひとつ間違えば、自分がやっているかもしれない。

 たまたま成立している「自分の正しさ」を楯に、高飛車な

態度をとるのはケチな料簡だと思います。人間はみんな “出

来損ない” です。



 私は何も、「脱税」も「飲酒運転」も「賭博」も「覚せい

剤」も許せと言っているんじゃありません。罰は受けなけれ

ばなりません。ただ、「“社会の不完全さ” を、常に意識し

ておかなければならない」と思っているのです。「社会の方

だって、エラソーに出来る程じゃない」と。それを忘れる

と、社会はすぐに暴走して、個人を押し潰してしまうからで

す。



 社会の仕組みが緻密になればなるほど、〈義務〉も細分化

されて増えてゆきます。その中で、人はがんじがらめになっ

て、窒息しそうになっている。



 わたしたちが生まれて来る時、そこにはもうすでに〈社

会〉がある。「初めに、社会ありき」。

 けれど、本当は「初めに、人ありき」のはずなんです。

 そうでなければいけないんです。

 〈社会〉は、〈人〉の為にあるように作られなければなら

ない。

 上手に世の中を渡って、したり顔をしている奴だって、実

は〈社会〉に狂わされてるだけです。我を忘れて、自分の命

を冒涜してるんです。



 〈社会〉の道具にされないように、〈義務〉を疑いなが

ら、お互いが “出来損ない” であることを、なるべく許し合

える社会が「良い社会」だと思いますが・・、それじゃぁ、

優越感を持ち難くなって、みんな物足りないんだろうな

ぁ・・。 






0 件のコメント:

コメントを投稿