2018年1月30日火曜日

「インフルエンザが猛威!」って・・、馬鹿マスコミめ。


 なにげなくテレビを点けると、ニュースで『インフルエン

ザが猛威をふるっている』と言う。

 「100人ぐらい死んだのか?」と思って見ていると、な

んだ、ただ流行ってるだけだ。

 冬にインフルエンザが流行るのは、夏にあせもができる様

な事で、何も不思議なことじゃない。何が「猛威」なのか?

付き合ってるのもバカらしくて、チャンネルを変える。 



 「今、医学的に認知されている病気は、何種類あるのだろ

うか? 」などと考える。

 誰か答えられる人はいるのだろうか? 

 医師に尋ねても、たぶん答えられる人はいないだろう。せ

いぜい、WHOでそういった研究・統計に関わっている人間

が、概要を知っているぐらいだろうと思う。

 皮膚の病気、目の病気、耳の病気、鼻の病気、首・手・

肩・肘・手首・脚・腰・背中の病気、内臓のさまざまな病

気、脳の病気・・・・・。日々、新たな病名が生まれている

のだろう。

 かたや、縄文時代の日本ではどうだっただろうか?

 病気の種類は、誰でも覚えられるぐらいの数だったに違い

ない。



 身体というものを、そんなに複雑に捉えようとはしていな

かっただろうし、複雑に捉える必要もなかったはずだ。

 “日にち薬” や薬草などで、治るものは治るし、治らなけ

れば仕方がない。

 治らないまま生きるか、治らなくて死ぬか。

 「そういうもんだ」とあきらめるしかないので、とにかく

あきらめただろう。その事を引き受けて生きただろう。


 現代でも、完治出来ない病気やケガはいくらでもあるし、

死を免れない病気も多い。

 自分や家族がその様な病気になったら、結局はあきらめる

しかない。「あきらめられない」とか「あきらめない」とか

言ったところで、治らないものなら、治らない。

 以前は治せなかった病気が、治せるようになったりしてい

るが、一方でアレルギー疾患のような、昔は少なかった病気

が社会にあふれる。医療が進歩しても、人間の病気に対する

苦悩が減ったようには見えない。それどころか、身体の見方

が複雑になったことと、医療に対する期待が大きくなったせ

いで、かえって苦悩は増大しているのではないか?


 医療の進歩で、苦痛をかなりコントロール出来る様になっ

たのは、本当にありがたい事だと思う。けれど、医学の細分

化は身体の捉え方を細分化し、病気の診断も細分化した。

 昔なら「知らぬが仏」で済んでいたことが、むやみに表ざ

たにされて、針小棒大に大ごとに仕立てられてしまう。

 そこに、マスコミなどが首を突っ込んでは、飯のタネに騒

ぎ立てて、お手軽な人たちが余計な心配ごとを背負い込むこ

とを手助けする。


 膨大な労力とエネルギーを注ぎ込みながら、病に対する苦

悩は、縄文時代より、かえって増えているのではないか?

 (何の根拠も無いんだけど、「iPS細胞」の臨床応用っ

て、あまり発展しないような気がするなぁ。人間の免疫系や

細胞の振る舞いって、まだまだ謎に包まれて、奥が深いと思

うんですよ。山中教授って、真摯で好感が持てますけどね)


 『インフルエンザが猛威をふるっています!』


 深刻な顔をして語るアナウンサーを見ていると、「“自分

でものを考えず、自分で責任を持たないという病気” が猛威

をふるっているんだなぁ」と分かる。

 ニュースが伝えているのは、そのコメントだけではない。

 「それをコメントする」という事が、ニュースの核心だっ

たりする。


 病気も事件も、大昔から繰り返されてきた。

 この世に生まれた人たちは、ひとり残らず死んでいった。

 道具立てが違っても、人のすることや苦悩は変わらない。

 騒ぎ方が大袈裟になっただけで、人間は相変わらずのお馬

鹿さん。

 いや、大袈裟になった分だけ、ストレスは大きくなったの

かも知れないし、何でも科学技術でコントロール出来る様に

錯覚して、“自分の都合” に固執する度合も強くなっている

んじゃないか。

 「肚を括る」ということが出来ない人間ばかりになってき

ているように思う。


 『・・・・次のニュースです。今年も、わたしたちの出来

損ないのアタマが、猛威をふるっています・・・・・』


 お疲れ様です。





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